ゆる歴散歩♪



平景清を訪ねて化粧坂


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それは鎌倉の化粧坂の入り口にひっそりとあります。
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意識しなければ通り過ぎてしまうようなそれは
水艦景清大居士
ここは平景清の最後の地であります。
平景清
平家に仕えて都落ちに従ったため、
平と呼ばれていますが、
藤原秀郷の子孫で伊藤景清とも言います。
大河ドラマの平清盛ではこのお方のお父さんがずっと平家に仕えていました。
俳優の藤本隆宏さん演じる
伊藤忠清は素敵だった〜♡

余談ですが第47回『宿命の対決』で
富士川の戦いで水鳥の飛び立つ音を敵襲と
勘違いして逃げ出して総崩れ・・・
何ともトホホな負け戦をして帰った
維盛に激怒した、
その頃はクソジジイ化していた清盛
忠清の首をも刎ねようとした
その時、

『死ぬる前に申し上げたい義がござりまする。

殿は今、維盛様に仰せになりました。

それでも平家の男の子かと。

戦というものをご存じなく、兵の心を知らず。遊び女を陣内に招き入れる。

それが紛うことなき

平家の男の子の姿にございます。

平家を公卿にまで高めた。

武士ではできなかったでしょう。

殿、平家はもはや武門ではござりませぬ。

殿ご自身がもはや武士ではござりませぬ。

殿が目指した武士の世は、

武士のままでは造れぬものにござりました。』


どうぞ、この首、刎ねてくださりませと忠清。

清盛が忠清の首を刎ねようとして

太刀を振り上げる。

しかし、、、

剣の重さに負けて尻餅してしまう清盛

もう身も心も武士ではない

哀しい清盛爺(泣)


ここ、、、名場面です!


話がずれましたがこの景清さん

何故この鎌倉に?

景清の伝説は数多く、

歌舞伎や浄瑠璃にも多く使われています。

ここの洞窟の牢に

捕らえられていた説もありますが、

私が信じている説を

今日はご紹介させていただきます。


平景清(伊藤景清)

上総七郎(上総介忠清の七男という意味)

悪七兵衛(あくしちびょうえ)の異名を持つほど勇猛だったそうです。

この時代の『悪』とか『鬼』とかは

悪者的な意味ではなく

そのくらい強いって言う意味で使われます。


源平合戦の中でも扇の的で有名な

屋島の戦い

ドラマなどではだいたい

那須与一が見事に扇を撃ち落とし

源氏かっこい〜〜で終わるけど、

実は続きがあるんです

与一が見事に扇を撃ち落とした直後に

あっぱれ!と、ばかりに

船上でお祝いの舞いを

始めた平家方の男へ

『あれも射よ!』と、義経

『ええっ〜〜〜?』

『勘弁(汗)』

みたいな与一さんの心のうちが

見えてきそうなこの場面。

与一だってこんな賭けみたいな事ホントはしたくなかったはず、、、

まるで弓の名手ならこの人!と

登場したかの様にドラマでは描かれていますが

実のところ畠山重忠に断られ

那須為高(与一の兄)にも断られ

三人目の与一に『これ断るなら国へ帰れ!』と

義経に切れられて渋々の登場だった訳で、、、

またもや、嫌だけど心を鬼にして

放った矢は男の首に命中。


これをきっかけに再び戦闘がはじまり

景清は逃げる源氏側の美尾屋十郎の

甲の(しころ=首を保護するために甲の後ろに垂れている部分)を

素手で掴んで引きちぎり、

十朗は側にいた馬の影に隠れたものの

深追いはせず、

引きちぎった錣を天高くかざしながら

『我こそは都の童も

悪の七兵衛と呼ぶ上総の景清よ!』

と、名乗りをあげるのです。

そのあとも義経の

ちょっと格好悪いエピソードがあるけど

切りがないのでまたの機会にしますが

景清はこのあと壇ノ浦の戦いでも

上手く戦場を逃れて生き延び、

兄・忠光源頼朝の命を狙います。

しかし忠光は

鎌倉に建設中だった永福寺の工事現場に

片目に魚の鱗を入れた姿で侵入して

頼朝暗殺の機会を狙いましたが

素性がバレて処刑されてしまいます。


そして景清は東大寺大仏殿に

頼朝がお参りするのを

狙って暗殺計画を企てるも見つかってとうとう捕らえられてしまいます。

しかしすぐに斬首される事は無く、

主君を思う武士の誉れとして

鎌倉武士の同情を買い、

鎌倉へ送られ武闘派で知られる和田義盛

預けられます。

しかし流石に悪七兵衛!

景清は義盛邸の庭で馬を乗り回し、

酒を飲んでは大暴れ・・・

豪快すぎます!

困り果てた義盛は頼朝に相談して

八田知家に預かり役を代わってもらいます。

義盛と同じく武闘派で

敵ながらも豪快で大胆な景清に

良い印象を持っていた

知家は義盛以上に親切に

敵に捕らえられ、

その地で保護されるという

惨めで哀しい気持ちを悟られまいとした

景清の横暴ぶり

何一つ文句も言わずにまるで息子の様に

もてなしてくれました。


その優しさに

今まで張りつめていた景清の心は

見事に崩れました。

やがて彼は化粧坂の中腹にある洞窟に籠り

それでも毎日八田家から運ばれて来る食事には

一切手を付けずに

ひたすら読経を続け

勇猛と称された身体は見る影もなく

やせ細り、

1195年3月7日

その命が尽きるのです。


長くなりましたが上の写真が化粧坂入り口の洞窟跡の碑です。

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現在多くの観光客が訪れる化粧坂は
かなり昔の面影が残る場所だと思われます。
鎌倉七切り通しのひとつで、防御上わざと登りにくくしてあるのと、
名前の由来は源平合戦で平家の武将の首実検をここで行う際、
首を化粧したからだそうで( ꒪⌓꒪)( ꒪⌓꒪)( ꒪⌓꒪)

多くの仲間達が首実検されたこの地で
読経を続けた景清
源平合戦での出来事や逃亡生活が
走馬灯の様に駆け巡っていたのでしょうか?

***化粧坂(けわいざか/けしょうざか)***
鎌倉駅または北鎌倉駅より徒歩












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by midorikojika | 2017-08-20 21:40
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愛犬をお供にゆる?く史跡を巡った日記です
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