ゆる歴散歩♪



カテゴリ:平安時代( 2 )


平安 小さな恋の物語 大姫と義高に会いに行って来ました〜

前回日記の常楽寺の裏山に小さな塚があります。
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ここは木曽塚

木曾義高
以前訪ねた木曽義仲の嫡男の塚です。
源氏って哀しい一族ですね。
このお方のおじいちゃんである
源義賢(よしかた)は兄の義朝(よしとも)の命令により
悪源太と呼ばれる源義平(義朝の長男であり頼朝の兄)に殺されています。
悪源太は将来父の仇として恨まれるのを阻止する為に
当時2歳の駒王丸(後の義仲)も殺す捜索をはじめますが
上洛せよの命を受け、配下の畠山重能にそれを託して旅立ちます。
ほどなく駒王丸は見つかりますが、まだ2歳の子を殺すことが出来ない畠山重能は
斉藤実盛に託します。
彼も困ってしまい、自分の所にしばらくかくまった後に
信州木曽の中原兼遠(なかはらかねとお)に預けます。
木曽の山奥なら見つからない。そんな計らいがあったのだと思われます。
兼遠は自分の子供と同じ様にして駒王を育てます。
それが後の木曾義仲です。
源義仲が木曽と呼ばれるのはそんな訳です。
そして義仲の子供が今日会いに行った義高です。


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ではなぜまたまた木曾義仲の子が
この鎌倉に葬られているか?


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それは以仁王(もちひとおう)が平家討伐の令旨(りょうじ=天皇一族の命令書)を
各地の反平家勢力へ向けて発し、
それを受けた伊豆の頼朝、木曽の義仲がほぼ同時期に兵をあげたことから始まります。

頼朝は関東、義仲は北陸から平家との合戦を進めて行きます。

その翌年、平清盛が死去すると
平家打倒の機運は高まり、同時に源氏内での
対決が始まります。
源氏の大将争いです。

そこで和睦の条件として
義仲の嫡男、義高と頼朝の長女、大姫の婚約話が持ち上がります。

まぁ、、、婚約という名の人質ですね。
なんせ、義高10歳、大姫5〜6歳ですから〜

そして義高は鎌倉へやって来ます。
義仲はその後1日でも早く平家を打ち破って
源氏の大将は自分だと証明するために
(そうしないと義高を取り戻せないので)
次々合戦で勝利し、
平家を都落ちに追い込み、京へ入ります。
そしてあの後白河法王を脅してまで
無理矢理、征夷大将軍の座につきます。
この焦りがいけなかった。。。

義仲の行動を恐れた後白河法王は
頼朝に義仲追討の院宣を出します。
そして義仲は
義経軍に敗れ命を落とします。

頼朝は義仲を滅ぼしてすぐに
義高も殺そうとします。
あれ?
このシュチエーション、冒頭でも書いた、
悪源太が駒王丸も殺そうと
捜索した話と似てるな??
そう、
源氏ってこんな事ばっかりしてるんです。
もともと、
悪源太がなぜ叔父の義賢を殺したか?
それも簡単に言えば悪源太と頼朝の父である
義朝との領地争いで、
関東に勢力をのばしたい義朝にとって
秩父重隆の養子になって
上野から武蔵一体を仕切っていた
義賢は邪魔者だったからだと思われます。

そんな哀しい源氏です。

しかし、
頼朝には大きな誤算がありました。
政略結婚という名の人質であった義高を
兄の様にしたい、
幼いながらも恋をしていた大姫

義高が父によって殺された事を知ると
頼朝と話す事もなくなり食べ物も口にせず、
やがて床に伏せる様になり、
頼朝と政子夫婦は、心配して
義仲が幼い頃に別れた妹の宮菊を鎌倉に呼んで手厚くもてなしたり、
義高の母の妹でもある巴御前を鎌倉に招いたり
もちろん義高の供養塔も建てたり、
最悪なのは義高を討ち取った
藤内光澄を斬罪にしたり
藤内さんにしてみれば
そんな理不尽な話ないですよね〜
命令を忠実に守っただけなのに(泣)

しかしそんなのことをしても
大姫の義高への思いは募るばかりで
年頃になっての縁談話には
結婚するなら自殺すると
頑に拒み、
とうとう二十歳に満たない若さで大姫は生涯を閉じます。

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こちらは大姫のお墓と伝えられています。
義高の塚のすぐ近くです。
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ここは扇ガ谷の岩船地蔵堂
堂内には大姫の守り本尊とされる地蔵菩薩が祀られています。
あまりに可哀想な大姫の死を悼んだ
北条、三浦、梶原など多くの御家人がこの谷に
野辺送りをしたと伝えられています。
時代に翻弄された
可哀想な平安の小さな恋です。

わたしは鎌倉散策がライフワークとなっていますが
ここを通る時は
心の中でそっと手を合わせます。
ちなみにお供の愛犬バンビ(女の子)も
ここでの写真撮影はちょっと寂しそうな顔をします^^;
(わんこながらも大姫の気持ちがわかるのかしら?)

*****************************
木曽塚:JR大船駅からバス 常楽寺下車徒歩5分 常楽寺裏

岩船地蔵堂:JR鎌倉駅より徒歩5分

義高の父、木曾義仲についてはこちら
↓↓↓↓







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by midorikojika | 2017-11-29 01:37 | 平安時代

袈裟御前に会いに恋塚寺



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恋塚寺へ行って来ました〜

なんだかラブリーな名前のお寺なので、乙女だったら縁結びかしら〜?
なんて、引き込まれて行きそうですが、
実は平安の悲恋に縁のお寺であります。
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鳥羽のはずれにある小さなお寺です。

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商売っ気無し^^

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左から
源渡 袈裟御前 文覚

袈裟御前については以前の日記
怪しい坊さん文覚を訪ねて伊豆と鎌倉』で
ふれましたがもう一度。

平安時代末期
北面の武士、遠藤盛遠(文覚の出家前の名)は人妻である袈裟御前に恋をします。
それからはほぼストーカー
源渡(袈裟の夫)と別れてくれ!諦めんぞ!と、
しつこく迫る文覚に
『ならば夫を殺してください』と袈裟。
ある夜こっそり屋敷に忍び込んだ文覚は源渡を斬り殺しました。
ところが、その首を確かめるとそれは
男装した袈裟御前だったのです。
文覚の激しい愛と夫との間で苦しんだ袈裟の下した決断は
夫の身代わりになって文覚に斬り殺される事。

一夫多妻が当たり前だった、
性に対してもかなり開放的だったらしいこの時代、
命をかけて操を守り通した袈裟御前の死は
当時の人々に大変な衝撃を与えたそうです。

このお寺は文覚が袈裟御前の菩提を弔うために建立したと伝えられています。


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袈裟御前の五輪塔
袈裟は実際、文覚の事をどう思っていたのでしょうね?
この五輪塔がちょっとだけ傾いている方向に
文覚のお墓があるそうです。

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文覚についてもう少しはこちら
↓↓↓










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by midorikojika | 2017-09-18 08:44 | 平安時代


愛犬をお供にゆる?く史跡を巡った日記です
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