ゆる歴散歩♪



金戒光明寺にその後の直実さんに会いに行きました〜



源平合戦でも名高い一の谷の戦い


鵯越(ひよどりごえ)の逆落としは
眼下に平家の陣を見下ろして、
ほぼ断崖絶壁を
馬で駆け下り奇襲をかけるって言う、
義経かっこい〜〜な場面ですが、
他にも名場面はたくさんありで
今日お訪ねするのは
その中でも有名な
歌舞伎『一の谷双葉軍記』の主役、
熊谷直実さんです。
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その後の直実さんを訪ねる前に
このお話のあらすじをざっと・・・

一の谷の戦いも終盤にさしかかり源氏の勝ちは確実だったころ、熊谷直実はもうひとつ手柄をたてようと海岸へ馬を進めているた。
すると1人の武将が沖の船めがけて馬で海に入ったところへ出くわした。
その武将は相当な高級品を身につけていて、
「これは大物に違いない!」
直実は、
敵に後ろを見せて逃げるるなんてかっこ悪いぞ!引き返してこいや〜
と、呼びかけた。
するとその武者は振り返り一騎打ちを挑む。
しかしすぐに直実に倒されその兜をとると、年の頃なら16~17歳の自分の息子と同じ年頃の美少年。
あまりの美しさに何処に刀を突き立ててよいかもわからず、
しかもこの戦いで直実の息子も怪我をしている。
自分の息子がちょっとした怪我をしただけでも心配なのに、
『この人を討ってしまったら親はどれだけ悲しむだろう』と刀を引っ込めた直実は、
貴方を斬ったところでもう勝敗は決まっている。命はお助けするから名前を教えてくれ
するとその少年は『そうおっしゃるあなたはドナタですか?
自分はたいした物ではない。武蔵の国の熊谷直実という者だ
でしたら私はあなたにとって良い相手です。僕の首をとったらきっと誰かが知っているから
その気品ある立ち振る舞いにますます彼を殺せなくなった
直実はその場を立ち去ろうと後ろを向いた。
しかし、こちらに
土肥実平と梶原景時が50騎ばかりの兵を引き連れてやってくるのが見えて、これはもう無理!
自分が見逃しても誰かがあなたの首をとる。
ならばこの直実が討つ!
と、刀を振り下ろしてその若武者の首を斬り、
そしてその首を包もうと服を脱がせると錦の袋に包んだ笛を見つける。

それは昨晩、決戦を間近に控えたこの一の谷一帯に
何処からともなく聞こえて来た美しい笛の音
その音色に源氏の武将はみな感動していたのだった。
昨夜の笛の音はこの人だったのか!戦場に笛を持って来るなんてなんと心の優しい人なのだろう
その後の首実検で平敦盛(清盛の甥)であることがわかり、
持ち帰った笛を見て涙を見せないものはいなかった。

この平敦盛との一戦は直実の心に深く刻まれる出来事になり、
理由はそれだけではないにしても戦いのむなしさに後の出家へと繋がったともされています。

今回訪ねたのはその出家先の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)
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わたくし関東の人間なので
京都のことはよく知らず、
今回このお寺を訪ねるにあたり
地図を見てみると
ずいぶん大きなお寺でした。
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この松が法然上人を訪ねた熊谷直実が
池で洗った鎧をかけたという、鎧掛けの松
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二代目ですけどね^^
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法然の廊所、勢至院前にある、
熊谷直実の五輪塔
そして向かい合わせに、
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平敦盛の五輪塔です。

直実の出家の理由は
戦いのむなしさからだけではなく、
手柄に対する恩賞が
大豪族に比べて微々たるものだったりの
不満や、兼ねてから領地問題で
確執のあった伯父との裁判で
不利な立場に立たされて敗訴して
切れてその場で髪を切り落として
出家したとも言われていますが、
それはきっかけで
いつかは出家して浄土住生への道を
歩みたかったのではないでしょうか?

出家後は法名を蓮生(れんせい)
と名乗りました。

その後、1207年に亡くなるまで鎌倉では
1198年に頼朝が亡くなり、
梶原景時(宿敵だったけど)の乱、
比企能員の乱、
頼家の暗殺、
畠山重忠の乱と
悲しい殺し合いが続きます。
そんな理不尽に巻込まれることなく
信仰に一途に修行出来た直実。

極楽浄土でと再会した直実と敦盛・・・
今度はお互いの立場を超えて
向かい合わせで穏やかに楽しい会話などして過ごしているのではと思います。




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# by midorikojika | 2017-09-15 00:34

六波羅蜜寺へ阿古屋を訪ねて来ました〜

前回の主役、平景清は歌舞伎や浄瑠璃の題材となって日本各地に伝説も残る人気者^^
今回はその一つ、阿古屋塚を訪ねて来ました〜
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それは六波羅蜜寺の境内に
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どどん!と立派にたたずんでおります。
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隣はなんと清盛公
(平清盛より阿古屋塚の方が大きい!)

建てられた時代が少し違うのか?
阿古屋塚は阿古屋の菩提を弔うために
鎌倉時代に建てられたとされています。

このあたりはかつて平家の館が立ち並んでいたそうですが平家滅亡後は
鎌倉幕府の京都守護の出先機関
『六波羅探題』として
北条氏の者が京都の警備・監視役として
駐留するようになりました。

阿古屋
室町時代の幸若舞の『景清』
浄瑠璃『景清』
(これらでは景清を役人に密告する悪女)
江戸時代にこれを改作して
『出世景清』
さらに改作して『壇浦兜軍記
(だんのうらかぶとぐんき)
この三段目にあたる『阿古屋の琴責め』
歌舞伎で今も上演されています。

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阿古屋の琴責め
平家滅亡後、悪七兵衛景清は
頼朝の命をつけ狙います。
鎌倉幕府の役人岩永左衛門は
景清の思い人であった五条坂に住む白拍子
(遊女とも)阿古屋は捕らえ景清の行方を
白状させようとしますが
阿古屋は『知らぬ』と言い張ります。

同じく役人の畠山重忠
一風変わった拷問を用意します。
それは琴、三味線、胡弓を順に演奏する事。
これらの楽器は心にやましさがあると音色が乱れるので
重忠は阿古屋の演奏を聴いて
彼女の心のうちを推し量り、嘘偽りがないかを見極めようとしたのです。
そして阿古屋はそれらの楽器を一点の乱れもなく演奏し、
重忠は阿古屋の言葉に偽りはないと釈放しました。

畠山重忠
知性と武勇を兼ね備えた
鎌倉武士の鑑とされた人物です。
一の谷の合戦では
怖がる愛馬を背負って駆け下りたとか
(そりゃ無理^^;;)
宇治川合戦では
大串重親を鷲づかみにして岸に放り投げるとか
(助けてもらったのに重親が自分が先陣だと名乗ったから大笑い)
永福寺の庭園造営の際、
庭の巨石を1人で持ち上げて
皆を感心させたとか

力持ちであり、

歌舞音曲の才もあったようで
鶴岡八幡宮で静御前の舞にあわせて
銅拍子をうったのが重忠
また鶴岡八幡宮で神楽が催された後の酒宴で
京都から来た今様達者の雅児の吹く横笛に
合わせて今様歌を披露して頼朝を
楽しませたのも重忠だったそうです。

そんな音感に優れていたから
この阿古屋に対する演奏の拷問で
一点の乱れも無い事も見抜けたという
設定になったのかもしれないですね。

それにしても静御前の鶴岡八幡宮の舞や、
阿古屋の拷問や、
行方不明の恋人のために捕らえられて
敵の前で自分の芸を披露するって
悲劇のヒロインの定番なんでしょうか?
それを見事にこなして
敵を感動させてるところも
オンナ強し!かっこええ〜〜〜♡

***六波羅蜜寺***
京都市バス
京都駅 206 系統、清水道下車、徒歩7分
京阪電車
清水五条駅下車、徒歩7分
阪急電車
河原町駅下車、徒歩15分





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# by midorikojika | 2017-08-25 05:21

平景清を訪ねて化粧坂


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それは鎌倉の化粧坂の入り口にひっそりとあります。
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意識しなければ通り過ぎてしまうようなそれは
水艦景清大居士
ここは平景清の最後の地であります。
平景清
平家に仕えて都落ちに従ったため、
平と呼ばれていますが、
藤原秀郷の子孫で伊藤景清とも言います。
大河ドラマの平清盛ではこのお方のお父さんがずっと平家に仕えていました。
俳優の藤本隆宏さん演じる
伊藤忠清は素敵だった〜♡

余談ですが第47回『宿命の対決』で
富士川の戦いで水鳥の飛び立つ音を敵襲と
勘違いして逃げ出して総崩れ・・・
何ともトホホな負け戦をして帰った
維盛に激怒した、
その頃はクソジジイ化していた清盛
忠清の首をも刎ねようとした
その時、

『死ぬる前に申し上げたい義がござりまする。

殿は今、維盛様に仰せになりました。

それでも平家の男の子かと。

戦というものをご存じなく、兵の心を知らず。遊び女を陣内に招き入れる。

それが紛うことなき

平家の男の子の姿にございます。

平家を公卿にまで高めた。

武士ではできなかったでしょう。

殿、平家はもはや武門ではござりませぬ。

殿ご自身がもはや武士ではござりませぬ。

殿が目指した武士の世は、

武士のままでは造れぬものにござりました。』


どうぞ、この首、刎ねてくださりませと忠清。

清盛が忠清の首を刎ねようとして

太刀を振り上げる。

しかし、、、

剣の重さに負けて尻餅してしまう清盛

もう身も心も武士ではない

哀しい清盛爺(泣)


ここ、、、名場面です!


話がずれましたがこの景清さん

何故この鎌倉に?

景清の伝説は数多く、

歌舞伎や浄瑠璃にも多く使われています。

ここの洞窟の牢に

捕らえられていた説もありますが、

私が信じている説を

今日はご紹介させていただきます。


平景清(伊藤景清)

上総七郎(上総介忠清の七男という意味)

悪七兵衛(あくしちびょうえ)の異名を持つほど勇猛だったそうです。

この時代の『悪』とか『鬼』とかは

悪者的な意味ではなく

そのくらい強いって言う意味で使われます。


源平合戦の中でも扇の的で有名な

屋島の戦い

ドラマなどではだいたい

那須与一が見事に扇を撃ち落とし

源氏かっこい〜〜で終わるけど、

実は続きがあるんです

与一が見事に扇を撃ち落とした直後に

あっぱれ!と、ばかりに

船上でお祝いの舞いを

始めた平家方の男へ

『あれも射よ!』と、義経

『ええっ〜〜〜?』

『勘弁(汗)』

みたいな与一さんの心のうちが

見えてきそうなこの場面。

与一だってこんな賭けみたいな事ホントはしたくなかったはず、、、

まるで弓の名手ならこの人!と

登場したかの様にドラマでは描かれていますが

実のところ畠山重忠に断られ

那須為高(与一の兄)にも断られ

三人目の与一に『これ断るなら国へ帰れ!』と

義経に切れられて渋々の登場だった訳で、、、

またもや、嫌だけど心を鬼にして

放った矢は男の首に命中。


これをきっかけに再び戦闘がはじまり

景清は逃げる源氏側の美尾屋十郎の

甲の(しころ=首を保護するために甲の後ろに垂れている部分)を

素手で掴んで引きちぎり、

十朗は側にいた馬の影に隠れたものの

深追いはせず、

引きちぎった錣を天高くかざしながら

『我こそは都の童も

悪の七兵衛と呼ぶ上総の景清よ!』

と、名乗りをあげるのです。

そのあとも義経の

ちょっと格好悪いエピソードがあるけど

切りがないのでまたの機会にしますが

景清はこのあと壇ノ浦の戦いでも

上手く戦場を逃れて生き延び、

兄・忠光源頼朝の命を狙います。

しかし忠光は

鎌倉に建設中だった永福寺の工事現場に

片目に魚の鱗を入れた姿で侵入して

頼朝暗殺の機会を狙いましたが

素性がバレて処刑されてしまいます。


そして景清は東大寺大仏殿に

頼朝がお参りするのを

狙って暗殺計画を企てるも見つかってとうとう捕らえられてしまいます。

しかしすぐに斬首される事は無く、

主君を思う武士の誉れとして

鎌倉武士の同情を買い、

鎌倉へ送られ武闘派で知られる和田義盛

預けられます。

しかし流石に悪七兵衛!

景清は義盛邸の庭で馬を乗り回し、

酒を飲んでは大暴れ・・・

豪快すぎます!

困り果てた義盛は頼朝に相談して

八田知家に預かり役を代わってもらいます。

義盛と同じく武闘派で

敵ながらも豪快で大胆な景清に

良い印象を持っていた

知家は義盛以上に親切に

敵に捕らえられ、

その地で保護されるという

惨めで哀しい気持ちを悟られまいとした

景清の横暴ぶり

何一つ文句も言わずにまるで息子の様に

もてなしてくれました。


その優しさに

今まで張りつめていた景清の心は

見事に崩れました。

やがて彼は化粧坂の中腹にある洞窟に籠り

それでも毎日八田家から運ばれて来る食事には

一切手を付けずに

ひたすら読経を続け

勇猛と称された身体は見る影もなく

やせ細り、

1195年3月7日

その命が尽きるのです。


長くなりましたが上の写真が化粧坂入り口の洞窟跡の碑です。

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現在多くの観光客が訪れる化粧坂は
かなり昔の面影が残る場所だと思われます。
鎌倉七切り通しのひとつで、防御上わざと登りにくくしてあるのと、
名前の由来は源平合戦で平家の武将の首実検をここで行う際、
首を化粧したからだそうで( ꒪⌓꒪)( ꒪⌓꒪)( ꒪⌓꒪)

多くの仲間達が首実検されたこの地で
読経を続けた景清
源平合戦での出来事や逃亡生活が
走馬灯の様に駆け巡っていたのでしょうか?

***化粧坂(けわいざか/けしょうざか)***
鎌倉駅または北鎌倉駅より徒歩












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# by midorikojika | 2017-08-20 21:40

ペリーに会いに行った〜沖縄〜



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前回の続きです。
ペリーは浦賀に来る前に琉球にも来ていたんですね〜
この門の奥にその記念碑があります。
その前に、、、
ここは泊港のほど近くにあります、
泊外人墓地です。
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ちなみにペリーのお墓はありませんよ^^。。。

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1853年5月26日
琉球に立ち寄った(と、言うより目的があって来た)
ペリーは首里城訪問を打診しますが拒否されます。
そこで6月6日
軍楽隊を先頭に武装した水平総勢200人以上を引き連れ
市内を行進しながら首里城へ向かったそうです。
国王側は仕方なく入城を許します。

その後
小笠原諸島父島→那覇
→浦賀
観音崎の水深測定をしたり〜
久里浜に上陸したり〜
江戸湾の測量をしたり〜
また来るよ〜と浦賀を去って那覇へ。
今度は香港へ行って再び那覇。と、
年表みるとあっちこっち忙しくして〜の
1854/3/31日米和親条約締結
7/11琉米修好条約締結
琉球側はこの条約を拒否したけれど
日米和親条約の締結を知り
受け入れる事にしたそうです。

当時の事をネットで色々調べると
沖縄とアメリカの関係の辛さはこのときから今も変わらず
続いているんだなと。
中途半端な知識の私がここに知った様に書くのは
差し控えますが考えさせられてしまいました。

今回の沖縄旅行の目的は
コザという街の音市場でのエレカシのライブもあり、
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この街でも戦後沖縄が日本に返還される前に暴動があったそうです。
それも沖縄の人は知っていて本土の人は殆ど知らない話だそうで、、、
何も知らずに沖縄の楽しいことばっかり考えていた自分だったので
複雑な気持ちになりました。
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コザで泊まったゲストハウス
1階がカフェでお洒落です。
でもこの街
すご〜〜〜いディープ。
横須賀のドブ板通りを大きく、怖く、
したみたいです。
夜は1人じゃ歩けません。。。

沖縄も広い!
首里城もまだ行けてないし、
また行きたいです。







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# by midorikojika | 2017-08-13 14:52

ペリーに会いに行った〜久里浜〜


もしもタイムトリップ出来たら、、、
どの時代のどんな場面に行ってみたいですか?
わたしは数えれば切りないけど、、、
1853年の黒船来航で大騒ぎした街の様子を見てみたいです。
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・・・ってことで、やって来ました。

ここは久里浜ペリー公園
嘉永6年(1853年)7月8日(太陽暦)
ペリー提督率いる黒船4隻が
浦賀沖に現れます。
そして上陸したのは7月14日にここ久里浜。
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このペリー公園にはペリー記念館があって
小さいながらなかなかの充実ぶりです。
行った日は閉館時間がせまっていたので駆け足でしかみれなかったけど
次はゆっくり見てみたいです。
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記念館のスタッフにお願いすればガイドもしてくれる、、、らしいです。
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泰平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も眠られず

あまりにも有名な句
これは蒸気船を上喜撰にかけていて、
当時人気のあった上等なお茶で
たった四はいでは、お茶4杯と船4艘(船を数えるのも杯を使った)を
もじっている、、、そして夜も眠られず、、、

この黒船来航の騒ぎっぷりを見てみたかったと冒頭で書きましたが
調べてみると庶民は意外と冷静で
小舟で黒船の側に行き、乗組員との物々交換を試みたり、
外国人相手に商売を始める者も出て来たりで、
その珍しさや新しさを楽しんでいたようで、
たった4艘の黒船でビビってしまったのは幕府だけだったみたいです。

ペリー記念館にはペリーの人柄についての記録もあり、
家族思いで子供へ向けた手紙の内容も紹介していました。
プライベートでは普通のお父さんだったようです。

ペリー公園を訪れてから5ヶ月後、
沖縄へ旅行する機会がありました。
沖縄と言えば、、、琉球王国よね〜
でもって、
源為朝琉球王伝説よね〜
なんて、沖縄の史跡を調べていたら、
ん?ペリー

そう、ペリーは琉球にも来ていたんですね。
もちろんその場所に行って来ました。
そこで色々考えさせられてしまったので
続きは次回おつきあいください。

ペリー公園
京急久里浜駅またはJR久里浜駅から久里浜循環バス「ペルリ記念碑」下車















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# by midorikojika | 2017-07-30 23:40


愛犬をお供にゆる?く史跡を巡った日記です
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