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鎌倉殿の13人第3回〜挙兵は慎重に〜ひとり反省会

鎌倉殿の13人 第3話〜挙兵は慎重に〜反省会です^^
一人で何を反省するんだかよくわからない筆者ですが、
今回も思うところは沢山ありましたが全部書くほどの文章力がないので
ゆる〜く抜粋して行きます。
物語の進行と時間は上下します。

まずは、時政萌えな最近なのでお父ちゃんから^^
①今日の時政父ちゃん
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どうでも良いセリフが癒してくれる父ちゃんです。
しかし冒頭では
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ご懐妊中の牧の方(りく)に臭いと言われ・・・
この時、とうちゃんは42〜43歳
加齢臭でしょうか(笑)
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そうは言ってもラブラブな二人。
相変わらず父ちゃんは若嫁にメロメロですが、
牧の方からは悪女の頭角がチラチラと見え始めて来ました〜

②今日の坂東武士
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狩に来てたらしい・・・
みんなで出かけた割にはうさぎ2羽?
『そんな日もある』って義村少年12歳
『飲もうぜ・・・』ってお酒らしきものを!
平安時代だからね。。。
お酒は二十歳になってからってのも決まってなかったし〜

また突っ込ませていただきますと、
ここ北条屋敷に日帰りで来れるのは工藤茂光だけです。
三浦義村和田義盛は2日くらいでしょうかね?
畠山重忠は4〜5日かかります。
それでうさぎ2羽?🐰🐰
北条屋敷で狩の研修でもあったのでしょうか??

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後日、戦のにおいが漂って来た頃、
またまたいました、義村クン・・・
北条家に住んでる??

そこで的確なアドバイスを!
ホントに12歳か〜〜い?
義時とは生涯の友として描かれるから頭の切れる人じゃないとね〜〜

それに比べてB作義澄父さんは、、、
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京から後白河法皇の密使を持ち帰ります。
この時政父ちゃんとのやり取りが和ませてくれる〜〜(笑)

いかにも田舎の武士(笑)
今でもいますよね、こーゆーお父さん^^

③平家の世が続くと信ずる者たち
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以仁王が挙兵するもすぐに失敗に終わり、
味方した源頼政も自刃しました。

大庭・伊東は平家にくっついてるからこれからも安泰♡
大庭景親は爺さま(伊東祐親)に頼朝と縁を切ってよかったなと笑い、
爺さまは娘婿である北条時政に頼朝とは縁を切って政子を
山木兼隆に差し出せと言います。

えっ〜〜〜もう頼朝と結婚して大姫まで生まれてる政子さまを今更・・・
いくら嫁を欲しがっている山木さんも喜ばないのではないかと??
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時政父ちゃん、武士に二言は無い人です。
お守りすると言ったからには頼朝を捨てる訳にはいかない。
でも波風は立てたく無いから
不作なりにも獲れたてのお野菜たちを持って山木さんに御目通りに行くと、

あのいや〜〜なあいつが、獲れたて野菜を蹴っ飛ばしてふんずけて
時政父ちゃんの顔に潰れた茄子を押し当てると言う、
なんとも野蛮で意地悪な行為を
あまりの理不尽に義時は、、、
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泣いちゃいました〜〜〜

帰る道すがら父ちゃんは
『厄介な婿をもらってしまったなぁ』
父ちゃんだってきっと泣きたかったんだろうな〜〜(泣)
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一方、爺さまは江間に嫁に行った八重を訪ねます。
平家の世が続くから頼朝とは別れてよかったんだよ・・・と、
言いたいみたいですね。
でも、八重姫と江間次郎さんは夫婦というより、主人と召使いのように見えますね。
江間さん、ほとんど台詞がありませんがどう思っているのでしょうか?
ちょっと可哀想です。

④女のバトルの予感させる。
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江間の家から北条の家が丸見え??
川を挟んでお隣らしいけど、こんなに近くて笑った。。。

幸せそうに大姫と遊ぶ頼朝と政子を遠くから見つめる八重。
これは酷いですね。
こんな近くに住まわせるなんて八重姫があまりにも可哀想です。
そして、八重に気が付いて笑顔で手を振る政子怖し!
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勝ち誇った感満々・・・

同じ女子だったら、、、八重姫の立場になって考えるとこんなこと出来ないな(泣)
でも政子さま〜〜〜
乗り換え早かった頼朝はここだけでは止まらないのですよ。
いつの時代も乗り換えの早い男はまた乗り換えるんですよ。
浮気するオトコは繰り返します。
それ覚悟で・・・
まぁ、政子様は最強ですから大丈夫ですが(笑)

⑤以仁王のクーデター後に笑った者たち

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源頼政は平等院で自刃、以仁王は
奈良へ逃れる途中で落命しました。

それを知った平清盛は豪快な笑い

一方頼朝は、、、
頼政さまは我が源氏再興の為に命を落とされたのだぞ!と、一喝しておきながら皆に背をむけてほくそ笑みを浮かべる(゚∀゚)
ふふっ、源氏の棟梁はこのわしだ。。。
で、しょうか?
⑥夢のお告げ
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頼朝の夢になんと後白河法皇が!
この夢のお告げ
そうなんです。
この時代、人々は夢のお告げを信じていました。
陰陽師が盛んだったのも平安から鎌倉時代です。
このあと、8月17日に頼朝は挙兵しますが、それも実は陰陽師に占ってもらって決めています。

夢のお告げは次回登場する岡崎義実も、石橋山で討死した息子を打ち取った長尾定影がその後捕えられて暫く預かったあと、毎日読経する定影を打首に出来ず、頼朝に「夢のお告げがあったから」と、許すことを申し入れます。

そして北条義時も、頼朝亡きあとの実朝暗殺事件の際、直前で体調を崩し家に帰ってしまって難を逃れたのも、実は夢のお告げがあったとも言われています。

夢のお告げ
何気に都合良く使えそうだけど、
このあともドラマの中ではポイントになりそうですね。

以上
今週の反省会でした。
本当は怪僧文覚の事も書きたかったけど長くなるのでまた次にします(^^)


# by midorikojika | 2022-01-29 11:26 | 鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人第二回〜佐殿の腹〜ひとり反省会

鎌倉殿の13人 第2話〜佐殿の腹〜ひとり反省会です。

①今日の時政父ちゃん
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冒頭から時政父ちゃんが笑わせてくれた第二回でした〜
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新妻 牧の方(りく)にめろめろメロンな時政父ちゃんですね。。。
この父ちゃんのテンションに対して北条の子供達がりくに全く興味がないのも
笑えました。
この若妻(政子と同い年)に翻弄されてやがて変わって行ってしまうお父ちゃんなのです。


②大庭景親
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ここで伊東と北条の仲裁に入った大庭景親
イメージぴったりです


③今日の爺さま
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伊東祐親は八重姫に頼朝と二度と会わないことを約束させますが、
千鶴丸に会いたいと八重姫に懇願されると
とっさに嘘をついてしまいます。
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取り返しのつかないことをしてしまった事に気づいた祐親。
平家を恐れるあまりに娘の気持ちを全く考えていなかったけど、
同じ親として子供を亡くす事がどれだけのものか、
この後身をもって味わう事になります。
(ゆる歴散歩 曽我物語を訪ねて①参照)




④今日の祐経
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工藤祐経は前回の頼朝からの命令に従い、
とうとう伊東祐親を襲撃!
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基本ビビリなんで武力では勝ち目ありません。。。
退散!(笑)
*工藤祐経は戦での活躍の記録はほとんどありません。。。
しかし、この後頼朝の重臣になります。
ここではかなり情けなく描かれていますが、賢く気転が効き、
教養もあったので頼朝の寵臣になります。
(ゆる歴散歩 曽我物語を訪ねて③参照)

④今日の義村少年
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大河ドラマで小生意気な役をやらせたらこの人(笑)
40代で7歳の役は無理だから誰もこれが7歳と思っては見ていないだろうけど、
三浦義村は義時と共に最後まで出演するので
大人になってもこのままのキャラなんだろうな〜

ちなみに、ふらっと遊びに来たように見えますが、
義村くんがこの頃住んでいたであろう衣笠城からこの北条屋敷までは
今でも電車で2時間半かかります。
当時はお馬さんでどのくらいだったんだろう?
先の大庭景親にしても距離的に三浦と変わらないので、
『昨夜、三浦義澄がわしのところへ相談に来たから様子見に来た』
くらいの気軽さでやって来たように見えますが
丸一日はかかる距離だと思います。
(ドラマだから良いけど^^)

⑥パシリに徹して散々だった義時少年
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面倒臭いことは弟に丸投げする宗時兄さん^^;
この日も頼朝を八重姫に会わせるために伊豆から武蔵まで連れて行く任務も任されるけど
頼朝は来ず、途中では酷い目に合い、泥だらけで比企館に到着。
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更に頼朝が来ないことを比企の尼や八重姫に報告する任務まで丸投げられた;;;

大好きな八重姫にはどんぐりを投げつけられる。。。
散々です。
ちなみに義時と八重姫の年の差14歳。
義時くん、年上好きですね^^


⑥その頃頼朝は・・
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政子とデートしてました〜〜〜♡

平家に捕らわれて死罪になった兄弟っていうのは長兄 悪源太義平
父と共に命を落としたのは次兄 朝長

でも〜、、、他の兄弟は自分が殺すサイコ頼朝
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女の人の支えがないと生きていけない頼朝です。
タラシでもあるけど、本人も言うように家族がいないから
拠り所はお慕いしてくれる女性だけだったんでしょうね。

そんなところも女性の心を掴んじゃって
政子は運命を感じるのでした〜〜
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この政子さまのセリフ、現代の女子っぽい^^
つまり田舎のヤンキーは好きじゃないってことね(笑)
わかる!わかるわ〜〜(笑)

私も乱暴な口を利いたり大きな声で威嚇するような男性は嫌いです^^


⑦一緒にサウナで義時の心も鷲掴む頼朝
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来たーーー!!
頼朝の決め台詞!
『お前だけが頼り』

1180年
挙兵前、頼朝は
工藤茂光・土肥実平・岡崎義実・宇佐美祐茂・天野遠景・佐々木盛綱・加藤景廉
一人一人部屋に呼んで『お前だけが頼りだ』と言葉をかけたそうです。

それを最初に義時にかけたように持ってくるこの展開
兄にも言うなって、、、
きっと宗時兄ちゃんにも、誰にも言うなでこれ言ってるような気もするな〜〜〜
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『ハハッ!』
これで小四郎義時の心も頼朝に鷲掴まれるのでありました〜〜〜


そして次回は1180年へ飛ぶそうですね。
楽しみです。













# by midorikojika | 2022-01-23 10:36 | 鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人第一回〜大いなる小競り合い〜ひとり反省会

鎌倉殿の13人  とうとう始まりましたね!

楽しすぎます^^

人に話したくても話せない。。。歴オタ鎌オタじゃない人に話すと逆に迷惑になりそうなのでここで独り言を呟かせていただきます。

今回のなるほどそう来たか〜
こう繋がるか〜な部分、、、たくさんあるけど抜粋して書きます。

①伊東祐親
昨年9月に3回続けて曽我物語関連のお話を投稿したのでそのつながりから伊東祐親です!
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こでは爺さまと呼ばれる伊東祐親は北条義時のお祖父ちゃんです。
真ん中の爺さまが伊東祐親(怖そうですね〜)
左が河津祐泰、後に曽我物語として語り継がれる曽我兄弟のお父さんです。
右は伊東祐清、2人とも伊東祐親の息子でみんな大好きガッキー演じる八重姫のお兄さんです。

伊東祐親については曽我物語を訪ねて②にも書かせていただいたように、なかなかやり手な父ちゃんです。
親戚の工藤祐経の領地を横領して、その妻だった自分の娘も取り上げて土肥に嫁がせてしまいました。
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今回登場した伊東祐親の娘たちの旦那さんは北条時政三浦義澄でしたが、
この先登場する、土肥実平(ゆがわらのあたり)と、岡崎義実(平塚市)にも娘を嫁がせてもう付近の豪族の殆どを傘下にする勢いなのでした。

②工藤祐経
伊東の爺さまに領地を横領されてしまった工藤祐経
ボロボロの出立ちで登場しましたね。
そして北条屋敷で祐親に遭遇すると、またまた酷い仕打ちをされてしまいました。
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このシーンでは特にセリフはありませんでしたが、
もし祐経が言葉を発していたらこんなかな?ってちょっとふざけて
吹き出しにしてみました^^:

河津祐泰の妻は満江(まんごう)
工藤祐経の離縁させられた妻も万劫(まんごう)
河津祐泰は力持ち!今も使われているお相撲の河津掛けは祐泰から来ている。
工藤祐経は京仕込みの鼓の名手
祐経の元嫁万劫は祐泰の妹

この時、元義兄弟の河津祐泰が刀を抜いて脅していたけど、どんな気持ちだったのでしょう。
弟の祐清が密かに頼朝に手を貸していたように父のやり方に多少の疑問を持っていてくれたら良いな〜
なんて思うのは私が現代の人間だからでしょうかね^^;


③頼朝と工藤祐経の出会い
伊東祐親は自分が京にいる間に
八重姫と出来ちゃって子まで産ませていた頼朝の命を狙います。
    ↑↑↑三浦義村がこう話していました^^;
そして可愛い盛りの千鶴丸を殺害。
それは頼朝からも恨みを買い、、、
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メイクするの早すぎました〜^^;

伊東祐親を恨む二人
『わしの命令ならそなたも気が楽であろう・・・』
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意を固めた祐経・・・
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ここから祐経は頼朝に仕えるようになるのですね。
(史実ではいつからかわかっていないようです。)

その1ヶ月後、爺さまが中心となって行われた奥野の巻狩の帰路、
工藤祐経の指示によって大見子藤太と八幡三郎の放った矢によって
河津祐泰が撃ち殺されます。
(このことが後の曽我兄弟の仇討ちに繋がります)
曽我物語を訪ねて①〜始まりの地〜参照

これは工藤祐経が伊東祐親を恨んでの犯行が、息子に矢が当たってしまったと伝えられていましたが、
最近の研究では頼朝が工藤祐経に指示したとの説もあるそうです。
と、すれば曽我兄弟の仇討ちで工藤祐経を討ち取った兄弟が
まっすぐ頼朝の居所に進んで行ったのも納得できるような???

そう話をつなげて行ったか三谷さん!
今後楽しみでしかたありませんね^^
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飄々とした態度で掴み所のないような雰囲気の頼朝でしたが
この表情に頼朝の本意みたいなものを感じました。
そこら辺もコミカルながらも締めてるところは締めて物語の重さも出ていて良かったです。

④これからの主要人物がチラチラと^^
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ドラマだし、下手に子役を使わないほうが良いとは思いますが〜
記した通り、和田さんは良しとして畠山重忠12歳^^;
宗時に頼まれてわざわざ埼玉県のしかも奥の方から伊豆まで来てくれました〜
お父さんは京に出仕中かしら??
三浦で従兄弟の和田義盛のアニキと合流したとしても、
3~4日くらいはかかる道のりお疲れさま〜〜〜

そして三浦義村
この時7歳とも15歳とも説があるそうですが
この落ち着きっぷりとB作義澄お父ちゃんと対等な喋り(笑)
お酒も飲んでたしな・・・7歳はないな^^;

お爺ちゃん(三浦義明)は衣笠城でお留守番でしょうか?
平清盛の大河では伊豆の頼朝の屋敷でお酒飲んで語り合ったりしていたような・・・

この義村くんも、和田義盛と畠山重忠の従兄弟であります。
主人公 北条義時と生涯のほうゆうとなる三浦義村・・・
この面々には頼朝亡きあと悲しい別れが訪れます。

⑤若き日の主人公北条義時

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そして最後に主人公北条義時
この時13歳・・・の、はず^^
ってことは3歳の時に八重姫に紫陽花のお花を届けたことを覚えてるって凄い記憶力(笑)
まあ、ツッコミはそこまでとして、この物語では八重姫は義時の初恋の人。

三年前に微笑みかけられて、自分のこと好きなんだって勘違いしちゃうところは
ウブな少年だし、小四郎・・・と名前を呼ばれて嬉しそうな
まるで十代の少年のような純粋に嬉しそうな表情ができる
小栗旬さんの演技力は素晴らしい!と思いました。

願わくば、こんな純粋な義時をいつまでも・・・

写真下の北条時政が家族に再婚の報告をするシーン
後方にいる赤ちゃんは時房??

時房は義時より11〜12下だからそうかな〜?
後、時政には政子と保子(ここでは実衣)以外にも女の子が何人かいるから
後ろにいる童もそのうち大きくなって稲毛かどっかに嫁に行くのかな〜〜



⑥キャラいいな〜だった配役

北条時政坂東彌十郎さん
後妻の牧の方に翻弄されておかしくなっちゃうのかな??

三浦義澄=佐藤B作さん
関東のお父さん武士っていい感じでした。

和田義盛=横田栄司さん
イメージそのものでした。

北条政子=小池栄子さん
義経の時は巴御前役でしたが
いつも精一杯頑張って生きる女性がはまり役ですね。

実衣=宮澤エマさん
今は無邪気な少女?だけど、
この方もこの後色々あるからどう演じてもらえるか楽しみです。

善児=梶原善さん
怖かった〜〜〜

仁田忠常=高岸宏行さん
台詞あったかな?
チラチラと見えていたけど、これから暴れてくれるのが楽しみです。

以上
第1回 鎌倉殿の13人 ひとり反省会でした〜〜〜











# by midorikojika | 2022-01-15 13:19 | 鎌倉殿の13人

曽我物語を訪ねて③〜父の仇 工藤祐経〜

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ここは鎌倉にあります実相寺
幕府の重臣だった工藤祐経の邸跡に孫の日昭が建てたそうです。
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ここに工藤祐経の名が確認されるだけで当時を伺わせるものは特にありません。

工藤祐経は1193年、源頼朝が催した富士の巻狩りの折に、
曽我兄弟に討たれました。
日本三大仇討ちの一つと言われる曽我兄弟の仇討ちです。

事の発端と、祐経が何故、曽我兄弟の祖父・伊東祐親を恨んでいたのかは
前回までの①②で書いて来ましたが、
今回は工藤祐経という人物とエピソードを書いて行きます。
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歌川国芳画 工藤祐経

21歳で武者所筆頭、そして頼朝の重臣へ

13歳で元服した工藤祐経は前回で書いた通り、伊東祐親に連れられて京に行き、
そのまま平重盛に仕えます。

『田舎侍』にしては礼儀を心得た小才のきく祐経は在京の間に武功ばかりではなく、
公家の文化にも染まり、21歳の若さで武者所の筆頭にまで出世しました。

しかし、前回も書いた所領問題で平家に見切りをつけ
頼朝が鎌倉に拠点を置くと京から東国へ下り、頼朝に仕えるようになります。

在京中に身につけた舞楽や教養頼朝の心を捉え、
皇族や京都の公郷達が鎌倉を訪れる折の接待や公の儀式の運営を任されて
頼朝は祐経を重臣としてあつかうようになります。

鼓と今様で平重衡を接待
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1184年3月一ノ谷の戦いで捕らえられた平重衡は伊豆で頼朝と謁見後、
鎌倉に送られて来ました。

頼朝はその徒然を慰めるために*藤原邦通工藤祐経、そして千手前と言う官女を遣わせて
遊興で時を過ごさせます。
祐経は鼓を打ち、今様を歌い、千手前が琵琶を弾き、重衡が横笛を奏で
重衡の心を慰めたそうです。

わたし、このシーンとても好きなんですよ^^
ここだけ優雅で重衡の京育ちの雅と千手前もおそらく教養のある人だったのでしょうか?
会話が上品だけど、近い将来自分は処刑される重衡の哀愁も漂って
ここだけ、ちょっと源氏物語を見ているような優美さがあるんです。

かつて重衡の兄、平重盛(重盛は平清盛の長男、重衡は五男)に支えていた祐経は
当時重衡とも顔を合わせていたので頻りに重衡を憐れんだそうです。
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重衡が鎌倉で過ごした教恩寺 十六羅漢像が見事です。
当時は別の場所にあったが移転されて現在の場所にあります。
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教恩寺の本尊は頼朝が重衡に
一族の冥福を祈るようにと与えられた阿弥陀像だと伝わっています。

静御前の舞に鼓を合わせる
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鼓の名手と言われた祐経。
源義経の妾だった静御前が『しづやしづ〜♪』と舞う、
鶴岡八幡宮の静の舞はあまりにも有名ですね。

そこで静に合わせて鼓を打っていたのも祐経でした。
ちなみに銅拍子を奏でたのは畠山重忠
この絵から見ると3人の男性の奥から畠山、真ん中が祐経、
横笛を吹いているのは誰でしょう?分かりません。

祐経死後の1195年3月15日
都から招いた児童の芸を見物する酒宴が開かれた際、
頼朝は『故祐経いまに存命せしめば定めて輿に入るか』と落涙したといいます。

頼朝大のお気に入り

祐経都仕込みの特異な能力や経験は頼朝に高く評価され、
1190年、頼朝の上洛では330騎を超える騎馬武者行列の中で頼朝のすぐ後ろの
『水干』を着す10騎に加えられ、また頼朝の後白河法皇訪問に際しても
武装した隋兵の武士とは異なり、『布衣』を着て隋っていました。

さらに1192年7月27日
頼朝の征夷大将軍の徐書をもたらした勅使に
引き出物の馬を渡す名誉な役を仰せ使いました。

なんだかとっても輝かしい功績ですね^^

文化系で草食男子?

こんな仕事できて都の文化も身につけてちょっとインテリ系?の祐経ですが、
戦での活躍は全く記録されていません。
むしろ逆に、こんな記事が・・・

1184年6月18日
祐経頼朝から一条忠頼(当時勢力を伸ばしつつあった源氏の一門)を酒宴の席でだまし討ちするように命じられます
しかし祐経はその場に臨むと
『いささか思案せしむるか、顔色すこぶるへんぜしめ』行動を起こすことが出来ない。

今で言う、ビビリですね^^;
って言うか、今で言えば人をだまし討ちするなんて普通の神経じゃ出来ません^^;

これを見た小山田有重、稲毛重成などが機転をきかせて忠頼を油断させ、
結局、天野遠景が切り捨て、その後忠頼の家来との乱戦が繰り広げられられるも、
活躍したのは、重成や遠景、結城朝光で祐経ではなく、、、

この時、祐経はどうしてたんでしょうね?
柱の影かなんかで震えていたんでしょうか?(笑)

こんな祐経は当時の武士達からすれば、仕事出来ないいわゆる腰抜?

今で言えば草食系男子でしょうか??

寵臣としての思いあがり

また頼朝に気に入られて入るからってちょっと傲慢なところもあった祐経
1190年7月20日
御所で行われた双六会頼朝の相手をしていた*佐々木盛綱と、その脇には子の*信実がいました。
そこへ遅れてやって来た祐経
すでに席はいっぱいで自分の座るところがない。
祐経は15歳の信実を見つけると、両手でひょいと抱き上げて傍に裾え、その場所に座ってしまいました。

15歳とは言え、元服している一人前の武士にそれは・・・ですね。

信実は激怒し、席を立つと何処からか石を持ち帰り祐経の額に投げつけ、流血事件を起こします。
頼朝が激怒して一喝する中、信実は逃げてしまい、行方知れずになってしまいます。

翌日、頼朝盛綱に信実を捕まえて来るように命じますが、
すでに信実は出家して姿をくらませていたので勘当したと言います。

頼朝は盛綱から祐経に謝罪するように命じます。

しかし盛綱は信実の罪は認めましたが、
『盛綱自身は祐経に恨みを持ったことはない。信実が一時の激情で行った行為はけしからぬものであるが、
父親として祐経に謝罪するのは「勇士の本意ではない」』と返します。
頼朝もこれを受け入れ藤原邦通を使いに出して
『盛綱はすでに信実を勘当したので今後遺恨のないように』と伝えました。
すると祐経『今回の件は信実に道理があるので遺恨はありません。
盛綱に対しても異心はありません』と返したと言います。

長くなりましたが事の起こりは祐経の軽はずみで無礼な行為にあって
激怒して石を投げつける信実も今で言えばレベルが低い、小学生かっ?
って言う感じですが、祐経の寵臣としての思い上がりが全くなかったとは言えないわけで、
一方、盛綱の態度は当時の武士社会の慣習を反映したものであるけれど、
『祐経ごときに頭を下げたくない』と言う、感情があったことも否定は出来ない事です。

武芸や戦での活躍ではなく、特異な能力で寵臣となった祐経は
他の武士からすれば、『あんな腰抜野郎・・・』だったのかもしれないですね。

****************************************


藤原邦通:頼朝の旗揚げに伴い安達盛長の推挙で頼朝に仕える。
山木兼隆襲撃の直前に酒宴にかこつけて兼隆邸に留まり周囲の地形を絵図にして持ち帰り、作戦を練る。
有識故実に通じ、文筆にも長じ、多才であったことから大江広元と同格、あるいはそれに次ぐ地位にある頼朝の重臣。


佐々木盛綱:佐々木秀義の三男 定綱、経高、高綱とともに伊豆に流されていた頼朝に仕える
1180年、頼朝が挙兵の日を定めると、部屋に呼ばれ挙兵を告知される。
源範頼率いる藤戸の戦いでは海を馬で渡って平家軍を追い落とす。
源平合戦後、佐々木荘を安堵される。

勘当された信実はのちに許され1221年、承久の乱では北陸道の大将軍として活躍する。


****参考文献****

物語の舞台を歩く〜曽我物語〜:坂井孝一
曽我物語の史実と虚構:坂井孝一
私の『曽我物語』:新井恵美子
現代語訳 吾妻鏡6富士の巻狩:五味文彦・本郷和人
Wikipedia他




















# by midorikojika | 2021-09-12 07:34 | 平安末期から鎌倉時代

曽我物語を訪ねて②〜曽我兄弟のお爺ちゃん伊東祐親〜



曽我物語を訪ねて②〜曽我兄弟のお爺ちゃん伊東祐親〜_a0305530_04061962.jpg
伊東祐親(いとうすけちか)
曽我兄弟のお爺ちゃんです。

兄弟のお父さん、河津祐泰(かわづすけやす)が殺されたのは
工藤祐経(くどうすけつね)が祐親を恨んでの犯行でした。
(伊東祐親だけ殺そうとしたが誤って祐泰を殺してしまった説もあり)

ではなぜ工藤祐経は親戚の祐親を恨んでいたのか?

それを語るには伊東祐親との所領争い
ちょっとややこしいけど、説明しなければなりません。
曽我物語を訪ねて②〜曽我兄弟のお爺ちゃん伊東祐親〜_a0305530_03271973.jpg

事の発端は曽我兄弟の四代前の先祖に遡ります。

工藤祐隆は、『大見、宇佐美、伊東』からなる『久須美荘』をおさめていました。

後継になる男子が皆早世してしまったので後妻の連れ子の子供を
嫡子に取り立てて伊東祐継と名乗らせ、久須美の中心地、伊東を譲りました。

但し、この祐継祐隆が継娘に密かに想いを寄せて生ませた子でした。

しかし早世した嫡子の子供のことも捨て難く、次男に取り立てて
伊東の南に新たに開拓した河津を譲り、
河津次郎祐親と名乗らせました。
これが後の伊東祐親です。

この昼ドラ的な構図が後の悲劇を呼んでしまいます(泣)

祐継の出生の秘密を知らない祐親は自分が嫡流なのにどうして??と、
この所領の配分が気に入らない訳です。

ところが祐継が43歳で突然亡くなります。

祐親は早速伊東に乗り込み、伊東次郎祐親と名を改め、
河津は自分の嫡子に譲ります。
それが曽我兄弟の父、河津祐泰です。

祐継の遺児、9歳になる金石(後の祐経)については最初のうちは
祐継の遺言どおり引き取って養育します。そして13歳になると
元服させて宇佐美工藤次祐経と名乗らせ、自分の娘、万劫と結婚させます。
そして久須美荘の領家平重盛に見参させると言う名目で祐経を京に連れて行き、
伺候させたまま、自分はさっさと伊豆に戻り、体良く祐経を追い払うことに成功して
祐経の土地を我が物にしてしまいます。

祐親父ちゃん、 なかなかのやり手です。
そのやり手ぶりは上記の家系図にも見えて、
自分の娘を、北条三浦に嫁がせ、祐経と結婚させた万劫もとりあげて土肥に嫁がせてしまいます。
そうして周辺豪族を娘婿に取り入れた事で伊豆での勢力を拡大させて行きます。

一方、京にいて平重盛に仕えていた祐経
21歳になり自分の所領を祐親に押領されたことに気が付きます。
そこで本所(荘園領主)の大宮や、平重盛家に何度も訴訟を起こしますが、
祐親が賄賂攻勢をかけていた為上手く行かず、土地は戻らず、
妻も奪われ、祐経は伊東祐経を恨むようになり、
とうとう大見小藤太と八幡三郎に祐親親子の暗殺を命じるに至るのでした。

これは、、、
祐親父ちゃんが悪いですね。。。
所領の配分に不満を持つのはわかるけど、奪い方が卑怯なのではないかと思いますね。。。

しかし!
こんなに大豪族へと化した祐親父ちゃんに思いもよらぬ想定外の出来事が起こります。

そう。知らぬ間に四女の八重姫頼朝の子供を産んでいた!
平家全盛の時代に、流人の頼朝の監視役だった自分の娘がなんてことを!
祐親は可愛い盛りの千鶴丸を川に沈めて殺害し、
八重姫は頼朝から引き離し、違う男性と結婚させてしまいます。
そして、頼朝の命まで狙うのです。

この辺から祐親の人生が急降下して行きます。

その1ヶ月後は前回書いた通りの嫡男・河津祐泰の殺害事件、
そして頼朝挙兵後は平氏側につき、その後捕らえられます。

家系図にもあるように娘たちの嫁いだ先、
北条、三浦、土肥は皆、頼朝の旗揚げから源氏側についていました。
三浦義澄の助命嘆願に頼朝も祐親を許し直接に恩赦すると言い、
それを鐙摺城に預けられていた祐親に伝えると『頼朝の恩言を聞き改めて以前の行いを恥じる』
と、言い残し自刃してしまいます。
                        

曽我物語を訪ねて②〜曽我兄弟のお爺ちゃん伊東祐親〜_a0305530_04324752.jpg
祐親が自刃した鐙摺城には供養塚が今も残されています。

祐親の自害を知った頼朝は嘆きつつも感動しました。
そして祐親の子である伊東祐清を呼び、
『父の入道(祐親)はその罪が重いとは言え、許そうと思っていたところ自殺してしまった。
後悔して臍を噛んでも間に合わない。ましておまえには功労がある。自分の下で仕えてほしい』
と言いますが、祐清は『父はすでに亡く、後の栄誉は無意味です。早く暇をいただきたい』
と言います。そこで頼朝は心ならずも祐清を誅殺しました。(吾妻鏡より)

祐清は父である祐親が千鶴丸を殺害して
頼朝の命をも狙った時、それを密かに頼朝に告げて走湯山へ逃がします。
頼朝にしてみれば祐清は命の恩人でした。
悲しい話しですね。
そうして伊東家は衰退して行きます。
伊東祐親のお墓


そして、祐親によって京に追いやられ、所領も妻も取り上げられてしまった工藤祐経は京で平重盛に仕えながら知識と教養を身につけていました。
それが後に大きな出世に繋がります。

次回こそ、
工藤祐経がどんな人物だったかを書いて行きたいと思います。
(実は筆者も頼朝と同じく祐経がお気に入りです(^^)

*またまた祐だらけで訳が分からなくなりそうですね。
名前の読み方すら今ひとつわからなかったりもしますからややこしさ倍増です。
長文お付き合いありがとうございました。















# by midorikojika | 2021-09-07 12:51 | 平安末期から鎌倉時代

ゆるく楽しく歴史も学びながら皆さんに鎌倉をご案内してます。日記はご案内以外に歴史の逸話etc


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