ゆる歴散歩♪



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三浦半島の城跡〜鐙摺城址〜

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こんにちわんです!
三浦半島には地味ながら見応えのある史跡が
沢山あります。
前回の六代のお墓を訪ねた日は盛りだくさんで
他にも時代が前後しながら
歴オタの自分としては満腹感のある
お散歩の出来た1日でした。
その中からまた1つご紹介します^^

いきなりワンズが登っているのは
鐙摺城址です。
葉山の港近くで小高いお山です。
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山頂は広場みたい
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海がみえますね〜
このお城は
鐙摺城の他に 旗立山、軍見山、
とも呼ばれていました。
鐙摺という名は三浦義明の三男、
太多和三郎義久
挙兵前の頼朝をここへ案内した際、
頼朝の鐙が摺れたことから
この名をつけたと言われています。
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こちらは伊東祐親の供養塔です。
伊東祐親(いとうすけちか)
頼朝の最初の彼女、八重姫のお父さんです。
(オンナ好きの頼朝なので最初かどうかは?)
祐親は伊豆に流刑になった頼朝の監視役。
京から3年ぶりに戻ると
自分の娘が頼朝の子を産んでいる。
平家全盛の時代に
源氏の子供なんてとんでもない!と、
可愛い盛りの千鶴丸を川に沈めて殺害。

八重姫は頼朝から引き離され
江間小四郎に嫁がされるが、その後家出して
頼朝を訪ねた時には北条政子と結婚していた。
絶望した八重姫は入水自殺(泣)

そして頼朝挙兵
平家側についた伊東祐親は
富士川の戦い後に捕らえられ
長女の嫁ぎ先の三浦義澄に預けられます。
義澄の助命嘆願と北条政子の懐妊もあって
恩赦が下されることになりましたが
以前の行いを恥じるとしてこの地で自害したとされています。

そしてもう一つ
このお城には
頼朝の女性関係のお話があります。

亀の前
頼朝の浮気相手として
1番有名なのがこのお方。
伊豆からの関係で小坪(逗子)に
呼び寄せて寵愛を続けたそうな、、、

容姿端麗で優しい人柄
う〜ん。
政子の様な強いオンナも良いけど
優しい女性に癒されたくも
なるのかな〜〜?

それを義母の牧の方に聞いた政子は激怒!
小坪のお家は破壊され、
命からがら
逃げて来たのがこの鐙摺城だそうです。

オンナ好きの頼朝
これに留まらず、
政子が妊娠中にやらかします。
最低の旦那だ\\\٩(๑`^´๑)۶////

次女乙姫を妊娠中には
悪源太義平の未亡人
(お兄ちゃんの奥さん)にまで
手を出し、、、未遂に終わるけど(;o;)

他にも沢山ありすぎるので
今回はここまで^_^
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鐙摺城の直ぐしたの道路沿いにあるお菓子屋さん
蔵の素敵なお店です。
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逗子の海岸も直ぐ近くですよ〜

最初に書いた別名
旗立山、軍見山に関してはまたの機会にゆっくり書かせていただきます^^/

鐙摺城址
JR逗子駅よりバス『鐙摺』下車
JR逗子駅より徒歩30分












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by midorikojika | 2017-07-18 23:44

居神神社に荒次郎さんを訪ねて来ました〜

8月お盆休み
箱根に1泊旅行の1日目
小田原の居神神社に三浦荒次郎義意(みうらあらじろうよしおき)様を訪ねて来ました〜

前回の道寸祭りの記事で登場した、道寸の嫡男で身体も大きく立派な武将、
小田原方の新井城攻めで討死したもその首が小田原まで飛んで行き、
城近くの井神の森の古松の枝にかかり三年間眼を開いたまま落ちずに通行人を睨みつけたと言う、伝説が残る荒次郎さん。

その荒次郎さんを祀った神社が『居神神社』です。
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まずは小田原駅で下車して小田原城を通る。
小田原城は工事中で入れず・・・

いや、入らなくても良いんですよ。っていうか入りたくないかも?です。

お城に行くと必ず無料ボランティアのおじさんがいるんですよ。
そのような方はだいたいが地元の方で小田原大好き!
北条早雲はヒーローです!な・・・

良いんですよ。

それはそれで、、、でも三浦方の自分としては 我が三浦一族を滅ぼし早雲さんを
スーパーヒーローの様に誇らしくお話されるのは聞くに苦しくなりそうで・・・
^^;↑(わたしは三浦一族の子孫でもなんでもありませんが)ただの三浦好きです。
で、で、、、
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小田原城 箱根口門跡
おそらく、、、ですが黒田勘兵衛が後北条氏に開城要請をしに行く折、
雨の様に降り注ぐ矢の中、
『命を粗末にするな〜〜生きられよ〜〜』と叫ぶ、
そう、、、昨年の大河ドラマのオープニングシーンのあった場所です。
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こっちの方が見るにありがたく^^;お供のワンズと記念撮影^^
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そしてやって来た居神神社。
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手水舎に三浦の家紋ですね〜
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長い階段を元気よく登ると、、、
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本殿があります。
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お賽銭箱も三浦の家紋。
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しかし暑かったこの日。
ワンズもハアハアでした。

小田原の街は江戸時代に入ってからの城下町としての史跡も沢山ある様でもっと勉強してから訪れるとまた違った面白さがあるんだな。と思った今回。

この日はその後、バスで『しとどの窟』に行く予定でしたがあまりに暑く変更〜
箱根に泊まって翌日にまわしたのに、まさかの雨で中止。
秋にでもまたチャレンジです。

しとどの窟についてはこちら
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by midorikojika | 2015-09-05 12:32 | 三浦一族

三浦道寸を訪ねて

今からおよそ500年前、永正13年(1516)
7月11日
三浦道寸義同(みうらどうすんよしあつ)が北条早雲(伊勢新九郎長氏)の軍との
壮絶な戦いの末、自決して450年間三浦半島を治めた名門三浦氏が滅びました。

その三浦道寸と息子の荒次郎義意を供養するお祭り
『道寸祭り』に行って来ました〜
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毎年5月最終日曜に行われるこのお祭りでは三浦一族お家芸の笠懸が催されます。

そして歴オタ的一番の見ものは普段は見れない『新井城址一般公開』です。
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今は東大の臨海実験所で普段は入れません。この日だけボランティアガイドさんの説明つきで中を見れます。
と、言っても本丸のあった場所に東大の実験所があって遠くから見る事しかできませんが。。。

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新井城見学の後はお祭りの会場へ。
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最初は道寸、荒次郎親子の供養から
お坊さんが来てお経を上げます。
その後、和太鼓演奏や立身流兵法の演式(ほとんど見えなかった)の後、
笠懸です。
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馬を走らせながら的に矢を
しかもカーブした砂浜の上を走る・・・なかなかの技です。
武田流弓馬道一門のみなさんでしたが女性の射手もいてかっこ良かったです^^
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これは三浦道寸の供養塔です。(去年訪れた時に撮影)この近くに荒次郎の供養塔もあります。
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うつ者もうたるる者もかはらけよ、砕けて後はもとの土くれ  

道寸は歌人であり能筆家でもあり戦国期の武人として古典の素養に富み、武断一辺倒でなく、文化的にもすぐれた人物で「文武二道の良将」と言われていたそうです。
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3年の篭城の末、遂に食糧も尽きて1516年7月11日の朝、城門を開いて打って出て一族は滅びました。最後の戦いは凄まじく、新井城から見える湾が血で油の様に赤く染まったことから
油壺と言う名前が付けられたそうです( ꒪⌓꒪)

落城前の最後の宴の時、『逃げたいものは逃げろ』と道寸は言いましたが逃げ出す者は1人もおらず、3年間の長い篭城の間も1人の裏切り者も出さなかった事は、道寸、荒次郎の人間的魅力があった事を物語っているのではないでしょうか?

お祭りが終わってから伝説の地を歩きました。
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義士塚です。
住宅や畑の真ん中にぽつんとあって探さないとわからないくらいですが、
ここは三浦荒次郎が敵陣に切り込んだおり、
三浦道寸の子にして、弱冠ながら身の丈は七尺五寸、今にして2メートル27センチ(それは無いと思うが^^;)
巨漢であるばかりか、筋骨隆々として髭は濃く、八十五人力と評されるほどの勇猛果敢ぶり
・・・
2m27cmの身長はさすがに・・・だけど、身体が大きくていかにも強そうな人だったことは確かでしょう・・・
その荒次郎が2っもの金棒を振り回すから北条方の軍勢もただ見ている事しか出来ず、
『あの男を斬れ!褒美は思いのままぞ!』の声に
豪勇の誉れ高い若武者四人が荒次郎に立ち向かうも、たちまち倒されねじふせられ、刃を向けられ覚悟を決めた四人に
「その武者ぶり、まことに天晴れなり。いまここで討ち取るのはたやすいが、これほどの人物なら、必ず世の為に役立つであろう」と、許す荒次郎。
この時、四人の若武者はいつかこの恩に報いようと固く心に誓ったそうな・・・
しかし、それから程なくして、追い詰められた荒次郎義意は自らの首を掻き切って自害。

四人は荒次郎義意と道寸義同が死んだ事を知るや、その恩義に報いるときは今と、道寸父子の後を追い自刃してしまった。
この話を聞いた村人達は、四人が自刃した地に塚を2つ造り、この若武者四人をねんごろに弔ったとも、他にも大勢の亡くなった北条方の武士たちの塚とも言われているそうです。

荒次郎の首は空を飛び小田原城近くの井神の森の古松の枝にかかり三年間眼を開いたまま落ちずに通行人を睨みつけ城下の僧が代わる代わる供養しても成仏しなかったが、久野総世寺四世の忠室存孝が松の下で読経をし
「うつつとも夢とも知らぬひとねむり、浮世の隙を曙の空」と詠むと成仏したという伝説があります。
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ここは大きな通り沿いに目立たなくあるお地蔵さんです。
なかなか見つからなくて警察で聞いてもわからず、近くのパン屋さんで聞いても知らないと言われ、、、、しかしその30m先くらいにあった^^;;
そのくらい目立たず通り過ぎそうな・・・・このお地蔵さんは・・・

当時、引橋のたもとで老夫婦が営んでいた茶屋は行き来する商人や武士に愛され、繁盛していたそうな・・・
三浦と北条の戦乱のころ、北条氏の間者が行きずりの百姓に化けてこの茶店に立ち寄り、
三浦方の様子を聞くので、人の良い老夫婦は笑顔をほころばさせながら、自慢げに新井城のことをすっかり話してしまった。
三浦一族が滅びこの地が北条のものになり、『誰かれかまわずお城のことを自慢げに話してしまって城が落ちてしまったのなら三浦のお殿様に申し訳ない』と自負の念にかられた老夫婦は償いにと心中してしまったそうです。

のちにこの夫婦の非業を知った村人が茶屋のあった場所に夫婦地蔵を祀り供養したという・・・

なんだかこれも悲しいお話です。

最後に後北条に攻められ道寸と荒次郎が自害して三浦一族が滅んだその74年後、
後北条は秀吉による小田原攻めにより小田原城を開城
得意としていた篭城戦もあの一夜城といい、海からも陸からも囲まれ遂に降伏・・・
北条氏政と氏照は切腹を命ぜられ7月11日、そう・・・
三浦一族が滅んだ74年後のその日に五代続いた後北条氏は滅亡します。

道寸親子の亡くなった更に291年前の7月11日は
鎌倉の北条政子が亡くなっています。

北条、三浦、後北条、三浦、、、、
北条に滅ぼされたと思ったら〜今度は後北条に滅ぼされ〜〜〜
7月11日って因縁めいた日ですね〜
あ。政子さんは普通に寿命を全うしてます^^。
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by midorikojika | 2015-07-12 15:47 | 三浦一族


愛犬をお供にゆる?く史跡を巡った日記です
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