ゆる歴散歩♪



権ちゃんに会って来た〜権田栗毛物語〜

群馬に遠征!

今回の目的は東善寺岩櫃城だったのですが、
ちょっとその周辺を調べてみたらこんな逸話があったので
訪ねてみました〜
なんと、この地にも直実さんの所縁がっ!
と、いってもご本人の痕跡ではなく、愛馬です。

今日の主役は熊谷直実の愛馬、『権田栗毛』ちゃんです^^
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埼玉県熊谷市のJR熊谷駅前の
熊谷直実像
この直実を乗せているお馬さんか
権田栗毛ちゃんなのです。

それは源平合戦以前のこと
兼ねてから良い馬が欲しかった直実は、
家来に名馬の産地である
群馬県倉渕村権田へ強くて良い馬を
見つけて来る様に頼みます。
そして、家来は村中を探し、
小池さんの家でたくましい栗毛の
馬を見つけて熊谷に戻ります。
直実はこの馬を
権田栗毛と名付け、←まんまやん(≧∇≦)
大切に育て、沢山の戦いをともにしました。

あの有名な一の谷の戦いで泣く泣く
敦盛を討ち取った時もお供していたのは
権ちゃんだったのね…

しかし、戦いで首に傷を受けた権ちゃんは
もう共に戦には出られなくなりました。
直実は自分の背負っていた母衣
包帯代わりに権ちゃんの首に巻いてあげて、
生まれ故郷の小池さんのお家に帰す事にしました。

権ちゃんは長旅の末に倉渕村の小池さんのウチにたどり着きましたが、
名馬を出すと三代で家が絶えるのことわざ通り、小池さんのお家は無くなっていました。

権ちゃんは、悲しみのあまり、ヒヒーンと泣きながら小池さんのお家があった周りを
とぼとぼと歩きまわりました。
それから権ちゃんは直実と暮らした熊谷を目指して歩き始めましたが、
首の傷の悪化と疲労がたまり、村からほど近くで死んでしまいました(泣)

その権ちゃんの終焉の地がこちらです。
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探しましたよ。
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こんな風に紹介されています。
そして奥へ。
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なんて書いてあるかわからないくらい古い石柱
その奥かな?
権ちゃん何処どこ〜?
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何処どこ〜?

いた〜〜♡
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権ちゃん
いたいた〜〜(≧∇≦
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こんな所からお顔ちょっとだけ出して(^^)
権ちゃん〜
頑張ったね〜
ご苦労様だったね〜〜
ここでゆっくり眠るんだよ〜〜
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そのすぐ近くには、
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権ちゃんがこの石を枕に亡くなっていたそうです。
権ちゃんの巻いていた母衣が外れて
小指ほどのサイズの観音さまが出て来て村の人々は驚いたとか。

その頃の武士は髷に小さな観音さまを入れていたそうです。
きっと直実が母衣を巻く時に御守りとして一緒に巻いてあげたのではないでしょうか?
直実の優しさが伝わりますね。

私も犬と生活しているので
動物の出てくるお話には、グッと来てしまいます^^。

幕末の偉人、小栗忠順さまを訪ねて
思わぬ出会いに感激した群馬の旅でした〜〜(^^)

**********************
熊谷直実の一ノ谷の闘いについてはこちら






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# by midorikojika | 2018-05-29 21:33 | 源平合戦 | Comments(0)

大好きなお寺〜妙本寺〜

鎌倉でどのお寺が一番好きですか?
と、聞かれたらどれが一番とは言えないけど、
私の場合、まず名前が上がるのが妙本寺です。
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鎌倉の駅からも近い割には人は少なく、
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方丈門から入って行くと
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本堂があり、、、
鎌倉のお寺はあまり派手じゃないところが好きです。
本堂から更に奥へ進むと
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二天門
ここがまた朝でも夕方でも、
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素敵です。
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その奥に祖師堂が見えます。
ここも素敵なんです。
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彫刻をながめているだけでもほれぼれしてしまいます。
良い写真が無いのが残念ですが。

そして史蹟も沢山あります。
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こちらはお萬の方の供養塔です。

三浦於萬
家康の側室です。
このお方についてはまたの機会にゆっくり書きたいです^^
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このどどん!とでっかい供養塔は
千代保(前田利家側室)の供養塔です。

お二方とも熱心な日蓮宗だったそうです。

このお寺のある比企谷(ひきがやつ)は
鎌倉御家人の比企能員一族が住む谷戸であった事から
そう呼ばれています。
しかし比企一族は建仁3年に北条氏によって滅ぼされました。
その悲劇の跡地にひとり生き延びた
比企大学三郎能本が
一族の菩提を弔う為に日蓮に屋敷を献上したのが妙本寺のはじまりだそうです。

比企一族が滅ぼされた『比企の乱』については
次回に続きます。









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# by midorikojika | 2018-01-11 01:17 | Comments(0)

義仲も号泣!斎藤実盛殿に会いに行きました〜

妻沼の聖天様にやって来ていよいよ実盛さまとのご対面です。
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聖天様、国宝なんですね〜
治承3年(1179)に、斎藤実盛が妻沼聖天山を開いたとされます。
でも残念ながら境内はお召し替え中でブルーシートだらけ(^^;;
中には入らず周りからお散歩(^^)
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紅葉が美しかったんです〜(^^)
そしていよいよ
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実盛殿〜〜〜〜!!
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何故にお名乗りいただけなかったのです?
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お久しぶりでございます!
駒王丸でございます(号泣

駒王丸とは木曽義仲の幼名です。
この実盛さまは、そうです。
大蔵合戦で父を殺され命を狙われた駒王丸を
助けて木曽へ送り届けた、
義仲には命の恩人だったのです。

それから28年、立派な青年に成長した義仲とこのような形で再会するとはなんとも哀しすぎるお話です。

それは実盛さまの武士の鑑のような忠義なお人柄ゆえです。

斉藤実盛さまは1126年 越前国南井郷で、斎藤則盛の子として生まれ、
同族の武蔵国長井庄(今の埼玉県熊谷市妻沼町)斎藤実直の養子になりました。

長井庄の当主になり、源義朝に仕えていた頃、
義朝(頼朝の父)義賢(義仲の父)が領地を巡って兄弟で小競り合いをしていました。
どうしても関東を制したい義朝には弟の義賢が邪魔者!
長男の義平に義賢を殺害させます。
この時、義平15歳・・・これをきっかけに鎌倉の悪源太義平と呼ばれる様になります。

あ〜しかし、15歳の息子に『ちょっと叔父ちゃん殺してこいや!』
『はいよ!父ちゃん行ってくら〜〜!』
『叔父ちゃんとこの駒王丸、おいらにゃ従兄弟だけどあいつも殺さないとな〜』
『後で仇とられるとまずいからな〜』
なんちゅ〜、、、源氏!哀しい一族よ。。。
そんな訳で命を狙われる駒王丸(後の義仲)
義平はその役を畠山重能に命令して上洛して行きます。
ほどなく見つかる駒王丸。まだ2歳。
あまりにも可哀想で殺せずこまってしまった重能はどうしたら良いか
実盛に相談します。

義朝に仕えてはいたもの、義賢にも恩義のあった実盛は
駒王丸をしばらくかくまった後、信濃国木曾の中原兼遠(なかはらかねとう)
預けるのでした。

その後、源義朝の部下として保元・平治の乱で戦った実盛ですが、
平治の乱で義朝は命を落とし、平家全盛の時代が訪れます。
長井庄も平宗盛の所領となり、斎藤実盛は平家に仕える武将となって行きます。

そして20数年、
以仁王の令旨(りょうじ=天皇家の人の命令書)を受けた伊豆の源頼朝、木曾の義仲が挙兵。

木曾義仲(駒王丸)=源氏
斎藤実盛=平家に仕える武将
これだけで泣けて来る〜〜〜〜

富士川の戦いで、平家は水鳥の羽音を夜襲と勘違いして総崩れするって
なんともトホホな大敗をしますが、これは、実盛が東国武士は強いと平維盛らに話をしたところ、
平家の武将らが過剰な恐怖心をいだき、水鳥が羽ばたく音を敵襲だと勘違いしたと言う事になっています。

多くの関東武士が源氏に鞍替え(くらがえ)するなか、
実盛は平家に忠実に仕え、木曾義仲を追討するため北陸に出陣します。
5月11日、木曽義仲は、倶利伽羅峠の戦いにて、10万とも言われる平維盛らの北陸追討軍を破ります。
そして、木曽勢は敗走する平家を追撃し、6月1日、篠原の戦いとなりました。
その前夜、仲間内からも、『もう充分平家には仕えたから源氏(義仲)に寝返よ』と言われながらも
実盛は平家の武者としての最後を選びました。
覚悟を決めていた実盛は老齢である事を悟られまいと白髪を墨で黒く染め、
平宗盛に願い出て総大将が着る錦の直垂(ひたたれ・鎧の下に着る着物)を着用し、戦いに挑みます。

味方が落ちて行く中、ただ一騎だけ踏みとどまり、ついに木曾の武将、手塚光盛(この人手塚治さんのご先祖様)によって
討たれます。
光盛は、決して名乗らなかったこの武将の首を義仲の元に届けると、
『この顔は斎藤別当実盛に似ておいでだ。でも実盛は既に70歳を超えているはず、
髪が黒いのはおかしい』
と、樋口次郎兼光を呼んで見てもらうと
兼光は『これは間違えなく斎藤実盛だ!』と、
近くの池でその首を洗うとその武者の髪は真っ白の白髪になったのでした。

そして義仲は男泣き。。。
大蔵合戦から28年後の哀しい再会でした。

小松市多太【ただ】神社が収蔵する実盛の兜は『保元の乱』の軍功でかつての主君・源義朝から拝領したもので、
『八幡大菩薩』の神号が浮かび上がる名品だそうです。

錦の直垂(ひたたれ)は宗盛に着用を許された金銀の糸で模様が描かれた豪華な赤絹の織物。

実盛の生まれはこの越前国南井郷だったので、最後に故郷に錦を飾りたいと
この兜と直垂は斎藤実盛の武士としての最期を飾る『死に装束』だったのです。

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聖天様を後にして自転車で妻沼の町を走りました。
地図を頼りに、、、しかしなかなか見つからないのが
有名じゃない史蹟^^;
地元の人も知らない率高しで、
だけど犬のお散歩の人に教えてもらってたどり着いた
斎藤塚
案内の通り、実盛さまの遺族が
遺品を埋めた塚とされていますが、、、
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無惨( ´Д`)y━・~~
も、もいちょい手入れしてくださいな
熊谷市さん^_^

そして次は実盛さまの館跡へ。
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ここに駒王丸もかくまわれていたのかしら?
当時がどんなだったかはわからないけど、
福川沿いなので町の栄えた場所だったのだろうな〜
なんて妄想。
こちらはきちんと整備されて、訪ねて来た人が記帳するノートなんかもあって♡

わたしがこんなに感銘を受けた武将様を知らなかった
地元のレンタサイクル屋さんのオジさん、
きっと知れば感動する事でしょう。。。
なんて、、、
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オジさんの貸してくれたmen's sizeの
大きな手袋をつけて帰り道をまた自転車で行くのでした〜〜^_^
(満足げな私がいるのは福川の土手の上で下方に見えるのが館跡の碑です)

最後に、実盛の子、宗貞・宗光も、平家への忠誠を貫きました
実盛の言により、平清盛の嫡孫平維盛に妻子の警護を命じられ、子の平六代に最後まで仕えたとされています。

以前訪ねた六代さんです。

実盛の忠義な人柄は子供達にも引き継がれていたのですね。

******************************************
妻沼聖天山:JR熊谷駅よりバス25分
斎藤塚、実盛館跡等へ行く場合は自転車利用か車をおすすめします。

実盛が命を救った木曾義仲についてはこちら

実盛の子供達が仕えた六代についてはこちら

























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# by midorikojika | 2018-01-08 18:31 | 源平合戦 | Comments(0)

御家人カレンダー

こんなのあったら楽しいかも?
と、昨年末思いつきで作ってみたら
意外にもみなさんが絶賛してくれたので、
もしもご入り用の方がいらしたら
コメント欄にメッセージください(*^ω^*)
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月ごとの御家人
家紋入り
鎌倉での幕府関係行事入りです。
鎌倉幕府好きにはかなり楽しんでいただけます^_^

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# by midorikojika | 2018-01-04 09:05 | Comments(0)

2018今年もよろしくおねがいします。

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# by midorikojika | 2018-01-02 14:05 | Comments(0)


愛犬をお供にゆる?く史跡を巡った日記です
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