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公暁祭りと奉納演劇〜公暁Revolution〜

公暁祭  


静岡県沼津市の大泉寺にて

初の公暁まつりが、2024年2月24日に開催されました。


ここは阿野庄

あの、、、、あのです。阿野全成です。

こちらの写真は数年前に撮ったものです。

大泉寺は全成の屋敷跡とされ、境内には全成と息子の時元のお墓があります。

そして、わたしも最近知ったのですが公暁のお位牌があるのです。


公卿といえば、時の将軍源実朝を暗殺した大悪人として有名ですが、

彼が実朝を暗殺するに至った経緯や、彼の人柄などは資料として全く残っていないのです。

ただ事実だけ、三井寺で修行して6年後鎌倉に戻り、鶴岡八幡宮寺の別当に就任、

そして1219年1月27日、叔父の実朝を暗殺。

三浦義村を頼り首を持って逃げるも三浦の手先、長尾定景に討たれる。


墓は無し。。


暗殺の動機は諸説あるけれど、どれもはっきりしない。

だからこそ、色んな妄想が出来るわけで、、、

しかし何故この鎌倉から遠く離れた静岡県沼津市の大泉寺に公暁のお位牌が??


鎌倉に観光で来る人の中で歴史が好きで来る人は100人中1人の割合だと聞いた事がありますが、

それでも歴史好きで鎌倉で活動していると、何処からか似たような歴オタが集まってきて、友達になっていたりするのですが、

善哉庵さんもそのひとり。


初めて会ったのは、確か鎌倉殿の13人大反省会の時でした。

自己紹介で彼女は公暁愛を語り、大泉寺に公暁の供養塔を建てるべく活動をしていると。


私は彼女の公暁への深い愛に感銘を受けて機会があるたびに、グッズを購入したり募金をしたり、

細やかな協力をしていましたが、昨年暮れに公暁祭りを2024年の2月に初めて大泉寺で行うことになったことを聞いて、

これはちょっと遠いけど、善哉庵さんの応援も兼ねて遊びに行こうなーんて考えて、

『お祭りには行くね~っ』て言ったら、『パネルディスカッションにパネラーとして出てもらえませんか?』と。


それって何人かの人が前に出て喋るやつだよね?

そんなのやった事ない。

でもひとりで喋るんじゃないからまぁ良いか笑笑って簡単に引き受けた訳です。



その後、我らが鎌倉もののふ隊も出陣して奉納演劇のエキストラを務めると。。。

じゃあ、わたしも僧兵の格好してエキストラやろー🎵なんてまた軽い気持ちでいたら、

ブシトーークの岡田さんが私と同様にパネルディスカッションと、演劇では長尾定景役にオファーされていて、

『実朝役がいないんんですよ。。。』と、奉納演劇の台本を書いている論理鼠さん


『子鹿御前さん、やってもらえませんか?』


えーーーーアタシ役者魂ゼロですよ。。。

『でも、実朝台詞少ないんです。やってもらえませんかっ。』

って事で台詞少ないならなんとかなるかな。。と、

人生初の演劇の舞台に立つ事になってしまったのでした。

と。前置きがかなり長い。


そして2月の初めに送られて来た台本が

面白い、、、!!

実朝暗殺事件をそう取るか。。


新説とも言えるくらいの展開だけど、そんなのあり得ないよとは言わせない出来栄えでした。

色々な言われはあるけど、先に書いたようにどれもハッキリしない。

それをそう解釈するか。。

凄いなーーーー!!


台本を書いている論理鼠さんは、劇団『風に吹かれて』の一員で今回の演劇では公暁役!

公暁推しでもって文学好き。たくさんの本を読んでいるからこそ書ける台本なのだなぁと、

後で彼女のYouTubeを見て納得しました。


『風に吹かれて』は素人劇団とは言え、みなさんミュージシャンで普段からライブ活動もされているそうです。流石声も出ているし滑舌も良い。

そしてミュージシャン劇団だけあって曲もオリジナルで途中ギターやニコの生演奏と生歌が入ります。つまりミュージカル仕立ての演劇ってことです。

ストーリーは1247年 宝治合戦で滅び行く三浦一族・・・
足を引きずりながら歩く、三浦光村が
『それがしはこれまでだ。今やっと本当のことを話すことができる・・・公暁様のことだ・・・』と、語り始めます。

30年前、14歳の駒若丸(光村)は公暁に仕えて、父の義村は公暁を旗頭に北条義時を討ち、
三浦が北条にとって代わることを目論みます。

公暁の真意を聞き出す駒若・・・
『北条義時は殺す』
しかし、単に復讐ではなく汚い現政権を一掃し、新しい国を作ると。
氏族の隔てなく、『何者でもない者たち』に協力を呼びかける公暁は
阿野時元にも声をかけます。

時元は『ならば、まず連帯すべきは鎌倉殿・・・実朝です。』
『あいつは腐った現政権の象徴ではないか!』と、反論する公暁に、時元は
『私は子供の頃からあの方を知っている。』
『あの方こそ未来を憂う者なのです!どうかあの人と話してください!』

そうして実朝に会いに行く公暁・・・
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そして・・・・

ここからは実際の演劇を観ていただきたいです。
公暁祭りは終わりましたが、
4月には東京の大森で、6月には青山での公演が決まっています。

大森風に吹かれて
4月19日(金)19:00開場 19:30開演
20日(土)18:00開場 18:30開演
¥2500ー (全席自由・飲食別)

青山 月見ル君想フ
6月13日(木)19:00開場 19:30開演
¥2500ー (全席自由・飲食別)

お時間合いましたら観にいらしていただけたら嬉しいです。

私も引き続き実朝役を演じます。

大泉寺には沢山の方が見にきてくださり、
『ブシトーーク見てますよ』と声をかけていただたり、また後にXで呟いてくれていた方も多数・・・
Xでフォローしているあの人も来ていたんだ〜〜〜声をかけて貰えればお話出来たのに〜なんてのも
沢山あり、大泉寺の初!公暁祭りがどれだけ歴史好きの注目を浴びていたかがわかりました。

そんなお祭りに参加出来たことを嬉しく思う実朝子鹿御前です

演劇とパネルディスカッションの他にミニライブ
劇団『風に吹かれて』の総監督は崖の上のポニョでお馴染み、藤岡藤巻の藤岡さん
藤岡さんのライブの最後に出演者全員とポニョを合唱^^
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そこへポニョのぬいぐるみが登場すると、
観ていた小さな女の子が
『ポニョ〜〜〜〜〜』と、大盛り上がり!
飛び跳ねて喜んでいました。(可愛かった〜〜^^)
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公暁の供養塔は実現したら全成と時元のお墓のある向かい側に建てられるそうです。

4月からはクラウドファンディングも始まります。
ご協力いただけると嬉しいです。
詳しくは下記リンクを覗いてみてください。








# by midorikojika | 2024-03-25 06:39 | 鎌倉時代

ゆる鎌さんぽ♪最近の活動

こんにちは。
ブログ更新せずにいつの間にか年が変わって2024年
令和だって、あれ?この前始まったばっかりの様な気がしたのだけど、え〜〜〜?6年??
年月の経つのは早いですね。
それが年を取れば取るほど早く感じます。

つまり気がつけばお婆ちゃんな訳です。

だから『今やりたいことはドンドンやらなきゃねっ!』て事で、昨年スタートした『ゆる鎌さんぽ』です。
まだまだ勉強不足でこれで良いのか?と、思いながら、
完璧な人なんていない。東大を出てる人だってまだ勉強が足りないって言うくらいだから
コレで良いなんて思う日はやって来ないんだ。
たとえあんまり上手くいかなくても、志さえしっかりしていれば、その都度修正してより良いものにしていけば良い。
『何事も道のりは険しい』『だからこそ面白い』のです。
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↑朝ドラ ブギウギの生瀬勝久さん演じる喜劇王「エノケン」さんの台詞からいただきましたが、
まさにその通りです。良い言葉だ〜♡

そんなで昨年は手探り状態で始めた「ゆる鎌さんぽ」ですが、毎回楽しみに参加してくれるリピーターさんもいて地味ながら繋がっています。

もう一つ始めたのが、「ゆる鎌さんぽ」お話会
鎌倉の昔の話しをみんなで語り合う会です。
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勿論聴いてるだけでもOKなので、お茶する気分で参加してもらっています。
コレも初めての試みで、ドキドキでした。
自分が司会進行役でお話なんかするのもやった事がないし、
一人で喋るのではなくて参加者の皆さんで語り合う形にしたかったので出来るだけ偏りがない様にしたいし、
上手く出来るか当日の現場まで何にもわからずでしたが、始まってしまえば始終和気あいあいと
皆様に楽しんでいただき、そして何より自分が一番楽しんでいるのでは?と思います。

そしてもう一つ昨年の秋から始めたのがYouTube番組ブシトーーク!!です。
吾妻鑑を読みながら武士があーでもないこーでもないと雑談する番組です。
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毎月鎌倉で歴史サロンを開催している鎌倉智史さんからお誘いをいただいて岡田英之さんと、吾妻鏡を読みながら3人で雑談、そこへ天の声の笠井千恵さん、たまにゲストありです。
写真の通り髭面の武士〜のお2人と、なんちゃって武士のわたし(笑)

お2人は大河ドラマ鎌倉殿の13人で何度もエキストラ出演しているんですよ〜

そしてお2人とも歴史にはめちゃくちゃ詳しく、ガイドの他に講師もされています。
このブシトーークを始めて改めて吾妻鏡を丁寧に読んでみると、知ってるつもりで知らなかった色々な気付きがあって面白いです^^。

子供の頃は鎌倉の山やヤグラが遊び場だった、地形からも鎌倉を知り尽くしている鎌倉さんと
その時代の文化や風習にも詳しい岡田さんならではの解説、冷静に囁く千恵さんの天の声と、生ライブでコメントを入れてくださる
視聴者の皆さんの見解も交えてまさに雑談しながら吾妻鏡を楽しんでいます^^

隔週火曜日8時から生配信です。
次回は2月6日火曜日夜8時から
いよいよ山木攻めなので、鎧着用で頑張ります😄

そんな感じで色々やっていてブログの更新ができすにいました。
ネタはいくらでもあるんですけどね(^^)

ついでにこの先、2月3月のゆる鎌さんぽは2月17日
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源実朝を暗殺した甥の公暁。
彼が実朝の首を抱えて逃げたであろう道をご案内します。
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1月にご案内した建長寺ですが、2回目が雨で3月に延期になりました。
建長寺に行った事のある人でも知らなかった建長寺のいろんな話しを交えながらご案内します。
私自身も建長寺を改めて知って感動したので是非沢山の方にこれを伝えたい!面白いこと間違い無しなのでご興味ありましたら是非ご参加ください。
お散歩は毎回定員を8名までにしています。
今までの経験上、みんなに声が届いて歩いていても分散したり迷子にならず、私も参加者さんも楽しくコミニケーションを取れる人数が最大8名なので。


また3月のお話会は『鎌倉の平家』鎌倉にいた平家の人たちの『へぇ〜〜〜』なお話
4月のお話は『Happy Birthdayよりとも!』4月8日がお誕生日の源頼朝を歌と食でお祝いします。
(歌と食って頼朝の和歌と食べていた物のお話です。私たちが歌ったり食べたりではないです^^;)

ブログの更新がなかなかで出来ないのでこまめに出来るインスタに多く投稿しています。
ゆる鎌散歩の情報の他に日々訪れた史跡や今日は何の日的な投稿もしておりますのでフォローいただけると嬉しいです。
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ブシトーークはこちらからお入りください。
アーカイブで初回からも見れますのでご興味ありましたらみて下さい。









# by midorikojika | 2024-01-29 10:45 | ゆる鎌さんぽ

ゆる鎌さんぽ♪23'10月は三浦按針を訪ねます♪

こんにちは♡
ゆる鎌さんぽの鎌倉歴史案内人、子鹿御前です^^

10月のお散歩コースが決まりました〜〜
〜ゆるくない逸見さんぽ〜
三浦按針を訪ねる横須賀逸見

大河ドラマ『どうする家康』観てますか?
私は挫折しました(笑)
しか〜し!
観なくてはならなくなりました!
なんと!三浦按針ことウイリアムアダムスが登場する!
演じるのは村雨辰剛さん

私は三浦按針には特別な思い入れがあって兼ねてから大河の主役になることを願っていました。
なのに戦国大河・・・主役どころか存在さえないかのようにかすりもせず、
こんな重要な人を何故スルー?と思っていましたが今回の家康で晴れて登場!
演じる村雨さんは三浦按針役を演ってみたかったとの事。
私も昨年の朝ドラで村雨さんを観てからもし按針が大河の主役になるなら村雨さんが良いなぁ〜って思ってました。
まぁ主役ではないけど、今からワクワクドキドキです♡

ところで三浦按針の事は歴史の教科書ではほんの数行書いてあっただけなのでほぼ覚えてないし、
何した人??外国人?どこの国の人?って思う人が大半なのではないかと・・・

そこでゆる鎌さんぽでは、いつかやりたかった按針を訪ねる横須賀逸見さんぽをこの秋決行することを決めました。

神奈川県横須賀市逸見は、三浦按針が220石(250石とも)の知行地をもらい領主となって収めていた場所です。
江戸時代に外国人が領主だったと言う、歴史上大変重要な町です。

逸見には按針の死後、その遺言により江戸が見渡せる場所に『按針塚』が建てられました。
按針の屋敷も逸見にあり、日本人妻の雪さんと二人の子供と暮らしていました。
そんな按針の里とも言える逸見の町を訪ねるお散歩
題して『〜ゆるくない逸見さんぽ〜三浦按針を訪ねる横須賀逸見』 を10月に開催決定!!

『ゆるくない』のは、按針塚のある塚山公園は江戸が見渡せるだけあって山の上です。
(かと言って登山ほどではないのでご安心ください。坂多めくらいの感じです)
塚山公園からは横須賀の港も見えてそれは良い眺めです。

わたくし、子鹿御前的には逸見は明治・大正時代にご先祖様が暮らした町、
逸見なくして子鹿御前も無しでありますので・・・この企画には力入れてます!
(いつももチカラ入ってますけどね。)

日時:2023年 10月14日(土)10:00~
11月6日(月)10:00~
集合場所は京浜急行逸見駅です。
両日定員8名までとさせていただきます。
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ご参加お待ちしております^^子鹿御前


















# by midorikojika | 2023-08-30 15:40 | ゆる鎌さんぽ

ゆる鎌さんぽ♪23'秋から冬のコースです^^



こんにちは
ゆる鎌さんぽの鎌倉歴史案内人、子鹿御前です。

暑いですね〜〜〜
何度言っても変わりはしないけど、一言目には『暑い』しか出て来ません^^;;;

ゆる鎌さんぽは6月から8月まで充電期間をいただくと宣言しましたが
ついでに9月も充電しちゃいま〜〜す^^

なぜなら『暑いから』(笑)

『ゆる鎌さんぽ』は比較的沢山歩きます。

この暑さ・・・少しは和らいだとしても9月いっぱいは続くかと思われます。

参加者さんの体調も考慮してもう少し過ごしやすくなる10月からの再開といたします。

その秋からのコースも素敵楽しいコースを予定しています。
まだ仮題ですが大体を決めました。
今からワクワクしている子鹿御前です。
予定表を作ったのでご覧ください。

こちらはinstagram/Xでも告知します。
はっきりした日時が決まり次第上書きして行きますので気になる方は
instagramをフォローしていただければ最新の情報が見られますのでよろしくお願いします。
2023/8/吉日 
子鹿御前



ゆる鎌さんぽ♪23\'秋から冬のコースです^^_a0305530_11583579.jpg
Instagram/yurukamasanpo
ゆる鎌さんぽ♪23\'秋から冬のコースです^^_a0305530_12180178.png








# by midorikojika | 2023-08-20 12:25 | ゆる鎌さんぽ

大慈寺と実朝と和歌

大慈寺と実朝と和歌_a0305530_08585107.jpg
ここは鎌倉市十二所
奥鎌倉とか鎌倉の奥座敷とか呼ばれていて御所からはちょっと離れています。
ここに大慈寺という源実朝が建立した大きなお寺があったそうです。
いつ廃寺になったのかは不明ですが現在の明王院から東一帯がその大慈寺の旧蹟で、
今は住宅地になってこの辺りに大慈寺がありましたよ〜という碑と、
マニア的にはここは??ん?
何の跡だろ〜〜〜♡とワクワクさせてくれる小さな石仏が残るのみです。

この大慈寺
建立の記録は吾妻鏡において1212年4月18日に始まります。
実朝の立願で『君恩父徳』に報謝するため
君の恩と父の徳
君は後鳥羽上皇、父徳の父はもちろん頼朝です。

この日建設工事が始まった大慈寺は、
後に勝長寿院(廃寺)の『大御堂』に対して『新御堂』と呼ばれたそうなので
たいそう大きなお寺だったそうです。

鎌倉廃寺辞典・吾妻鏡によりますと、その年の10月11日
実朝は大慈寺の工事の経過を見るため大倉郷へ出かけます。
(当時この辺りは大倉郷と呼ばれていたようです。)
北条義時や他多くの人が付き添いました。
『ここは河もあり、山もあり、木水共に便宣を得て地形の素晴らしさは仙人の住まいのようだ』
と、褒められたそうです。

この時、三善康信が京都から取り寄せた山水の絵図を実朝に献上すると
とても気に入ってくれたそうです。

三善殿と実朝の和かな笑顔が想像できちゃいますね^^

そして三善殿は言いました。

『去る建久九年十二月の頃・・・(1198年の12月です)
夢想の告があり、(来た〜〜〜夢のお告げ!←この時代は夢のお告げを信じてた)
先君(頼朝)のお供で大倉の山辺に来ると、一人の老人が現れこう言いました。

「この地は清和天皇の時代に文屋康秀が相模掾として住んでいた場所である。
精舎(寺院)を建てなさい。私が鎮守となろう」

夢から覚めた後、この旨を(頼朝に)申し上げました。
そのころ幕下将軍(頼朝)は病気の最中で
『元気になったら堂舎の造営をしよう』と仰りましたが翌年正月に亡くなられてしまいました。
今それが実現したことは夢の感応であります』

ほほう・・・えっ?
それじゃあ頼朝は亡くなる一ヶ月前には病気で伏せっていたってこと?
吾妻鏡には頼朝が亡くなる前後がぱかっと抜けちゃって
そのころの様子が全くわからないけれど何年も後に
落馬して亡くなったという記述がある。
きっと病気なのに無理して橋供養に出かけてその帰りに気を失って
馬から落ちてしまったのですね。。。
でもその病気が気になる。
ちょっとずつちょっとずつ、北条に毒を盛られて体調を崩していたのでは??
吾妻鏡の空白の時間にそれは行われていたのか??

まぁ考えても仕方ないことです。

話が反れてしまいました。
三善殿の夢のお告げの話に側にいた僧が突っ込みます。
『古今集の事書には文屋康秀は参河掾として下向しようとして小野小町を誘い出したと言います。この二人は仁明天皇の御代の人です。清和天皇の御代に当たるでしょうか?』
三善殿は
『夢の中のことはまことに証明しがたいものですが、古い除書を見ると康秀は元慶三年に縫殿助に命じられているそうです。ですから清和天皇の時代に仕えていたことは間違えないでしょう。相模掾のことは未だはっきりしません。』と、返します。

さすが三善殿!
実朝は感心してこの御問答を記録させ、この寺の縁起を作り、
この夢記をその始まりと命じられたといいます。

ところで文屋康秀って誰?小野小町??
なに?なに?なぁに?

わたくし子鹿御前・・・
最近和歌を勉強しています。
全く予備知識無しの初心者なので和歌や古典に詳しい方なら当たり前に知っている事だとは思いますが、
文屋康秀小野小町も清和天皇の時代(800年代)の歌人で六歌仙に選ばれています。
*六歌仙とは古今和歌集を編纂した紀貫之が選んだ和歌に優れた6人の歌人
他に、在原業平、僧上遍昭、大友黒主、喜撰法師

そして一番わかりやすいのが百人一首にも選ばれている
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我が家に私が生まれる前からあった百人一首のかるたです^^
子供の頃坊主めくり専門だったー(笑)

小町ちゃん、センターです。

だってクレオパトラと楊貴妃と並んで世界三大美女の一人だったんですよ〜
きっと見とれてしまってため息が出るくらい美しかったんだろ〜な〜

在原業平は『昔、男ありけり』から始まる伊勢物語の主人公かと言われていて
ルックスは美しく自由奔放な性格で平安時代を代表するモテモテ男と言うか、
恋多きお方だったようです。
一説によると一生のうちに枕をともにした女性は3733人?(よく数えたな^^;絶対盛ってる)
若い娘から上は99歳まで(年齢まで盛ってるな笑)

この小町ちゃんと業平くん、付き合っていたことがあるらしいんです。

そして、文屋康秀は先ほどの僧が言った通り、三河掾に任ぜられた時、小野小町を
『ボクと一緒に三河国に行かないかい?』と、誘っているそうです。
それに対しての小町ちゃんのお返事は
『わびぬれば 身をうき草の根を絶えて さそう水あらば去なむとぞ思ふ』
(こんなに落ちぶれてしまった辛い身なので我が身を浮き草のように根を断ち切って誘う人さえあればどこにでも一緒について行こうと思います)
え〜〜〜〜OKってこと?ですよね〜
本当について行ったのかは謎だそうですが、
落ちぶれて・・・って、きっと花の盛りを過ぎた年齢の頃なんだろうな〜
小町ちゃんって絶世の美女だったからそれを鼻にかけているところもあったらしく、
絶世の美女ゆえに老いて劣化していく自分が相当辛いものだったようで、、、
『花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに』
(あんなに美しかった桜も長雨に降られているうちに色あせてしまった。かつての私の美貌も物思いにふけりながら世を過ごしているうちにすっかり衰えてしまった)
なんか・・・同じ女子としてわかりますね^^;
美女じゃなくても劣化の気になるお年頃なので友達との会話で必ず盛り上がるのが
美容の話!
それと介護と自分の老後の話 年金はいつから貰うのがお得とか(笑)

それと小野小町は自分が見た夢を歌にしています。
『思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』
(一途に思いながら寝たからあの人が夢に出て来てくれたのかしら 夢だとわかっていたら、目なんか覚まさなかったのに)
当時は相手が自分を思ってくれると夢に出てくると信じられていたそうです。
夢の中でも好きな人に会いたいって切ない恋心
これも誰もが共感するところですね。

大慈寺と三善殿の夢の話から小野小町の話に飛んでしまいましたが、
実朝も小野小町や文屋康秀、在原業平の和歌を詠んだはず
そしてこのお三方の逸話も訊いていたんだろうな〜
そう思うと、実朝が短かに感じるのは私だけ?
もしもタイムマシーンで1212年へ行けたなら、実朝と和歌の話で盛り上がれる^^
これは楽しい♡

もっともっと和歌を知りたくなった子鹿御前であります。










# by midorikojika | 2023-08-02 12:49 | 鎌倉時代

ゆるく楽しく歴史も学びながら皆さんに鎌倉をご案内してます。日記はご案内以外に歴史の逸話etc


by 子鹿御前