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八重姫・政子・時政・頼朝との出会いが運命だった。

伊豆韮山へ頼朝流人時代の史跡を訪ねに行って来ました〜

伊豆長岡の駅からレンタサイクルで回る予定でしたがまさかの雨・・・

で、泊まりがけだったので1日目は歩きで回れる範囲だけ。。。

まずは真珠院
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頼朝の最初の彼女?八重姫を祀る八重姫御堂(静堂)があります。
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伊豆で流人生活をしていた頼朝と平家方の監視人、伊東祐親の娘である八重姫が恋におちて千鶴丸っていう男の子も産まれますが、京から3年ぶりに戻った父の激怒に合い、子は殺され、他の男に嫁がされ、それでも頼朝が忘れられずに逃げて来ると彼は北条政子と結婚していた。
絶望した八重姫はこの地で入水自殺(涙)
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↑こちらが八重姫堂
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願掛け石(年の数たたくと願いが叶うそうです)
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八重姫主従七女之碑
八重姫に従っていた侍女6人が、真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を葬り弔ったのが真珠院のはじまりだと言われているそうです。
八重姫を葬った侍女たちは、伊東へ帰る途中で自害したそうです。(涙)

次に来たのは八重姫とは対照的な道へ進んだ北条政子産湯の井戸
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ふっ、、、古い〜井戸。。。だけど手入れはしてある様ですね。
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使ってはいないみたいだけど、私の様な歴史好きのために保存してあります。

北条政子については誰でも知るところですね。
当時、地元の小さな?豪族だった北条氏が(八重姫の伊東氏の方がずっと大きかったらしい)鎌倉幕府150年を取り仕切る事になろうとはこの産湯に浸かった政子が産まれた時にはだれも想像し得なかった事でしょう。

そしてその父、時政
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ここ、願成就院(がんじょうじゅいん)は、北条時政が頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したというお寺です。
ここに時政自身も眠っております。
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八重姫のお父さん、伊東祐親は当時の絶対権力だった平氏を恐れて罪人である頼朝の子供なんてとんでもない!と、千鶴丸を殺し、姫と頼朝を別れさせてしまいましたが、時政は最初は反対したもの、政子の固い意志に遂には2人を許して頼朝挙兵の際には源氏側につき、、、と家族ぐるみで頼朝を支えて鎌倉幕府へと進んで行きますが、、、、
この時政さん、トホホな晩年です。上記まではかっこいいお父さんだけど、
頼朝亡き後、権力維持のため次々に御家人を抹消して行き〜の、最高権力者となったお父さんは後妻の牧の方とその息子(連れ子)のわがままを聞き入れ判断力が無くなったのか、
自分の孫である時の将軍、実朝の暗殺計画を企てます。

これが政子とその弟2代執権義時にばれて伊豆に幽閉・・・
10年後に寂しくこの世を去ったそうです。

権力って恐い。
全て自分の意のままになると思えてしまうのか?
悲しい結末です。
by midorikojika | 2015-10-25 15:44 | 平安時代

ゆるく楽しく歴史も学びながら皆さんに鎌倉をご案内してます。日記はご案内以外に歴史の逸話etc


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