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畠山重保と望夫石

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鎌倉の鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に向かっての一本道は
若宮大路と言い、頼朝が鎌倉の街づくりのまず初めに
自分の生まれ育った京の街に習って
この道を造ったそうです。

その若宮大路には大きな鳥居があります。
一の鳥居と呼ばれる鳥居のすぐそばの道沿いにある、この大きな宝篋印塔は
畠山六郎重保の墓と伝わっています。

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大きな石碑の隣の白い柱の様な碑にはよく見ると
『六郎茶屋跡』と、掘られてあります。
この近くに重保の邸があり、後には六郎茶屋と言う茶屋があったそうです。
土地の人たちはここを六郎様と呼び、
咳で困るときは重保を祀る六郎様にガンをかけ、治るとお礼にお茶を入れて
供える信仰があった様でそれは今でも続いています。

畠山六郎重保 
坂東武士の誉れと名高い畠山重忠の嫡男で
母は北条時政の娘で、北条政子や義時の妹です。
(つまり時政には可愛い孫、義時には可愛い妹の子供です)

1205年
16〜17歳の重保は
将軍源実朝と朝廷の高官であった坊門信清の娘との縁談がまとり、
その娘を京都に迎えに行く一行として、家柄がよく、
容姿と共に武芸にも優れていると言うことでその一人に選ばれました。

重保は父に似てイケメンで立派な武将だったのでしょう♡

その一行のメンバーの酒の宴にて、北条時政の
後妻である牧の方の娘婿の平賀朝雅と言い争いになり、
朝雅は牧の方を通じて時政に、
畠山親子に謀反の疑いがあると告げ口します。

もちろん畠山親子にはそんな気はないし、北条義時もそれはないと反対したものの、
畠山討伐が行われることになります。

それは突然でなんの前触れもなく、
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竹宮恵子さんの漫画『吾妻鏡』です。

この様な感じで訳も分からぬまま討死してしまう重保。
ひどい話です。
ここでは語られていませんが、喘息持ちの重保は謀反人の連絡を聞き、
急ぎ由比ヶ浜に出たところ、発作が起きて滑川の岸に降りて
喉を潤して苦しいのをじっとこらえていたところを
後ろから忍び寄った敵に斬られたとも伝わっています。

この漫画の義時(2022で小栗旬さんが演じます)
反対してた割にはやる気満々モードでこの後二俣川で重忠を
討ち取ります。

こうして北条は自分の権力維持のために可愛い娘の子供や旦那まで平気で殺して行くのです。
酷い話です。

それでですね、、、今回訪ねた本題はここからで、、、

重保には妻がいたそうな、、、
当時16〜17歳なら妻がいてもおかしくはないけど、
前回日記の人丸ちゃんとも恋仲の噂・・・
やるじゃん、重保〜〜〜な、訳ですが、
その人丸ちゃんの祠が重保の宝篋印塔の傍にあると小耳に挟んだので確認に行きました。
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隣の五輪塔は?奥様かな?
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その後ろ側にもいくつかあるけどわかりません。

奥様は、名前すら残されていませんが、
由比ヶ浜で重保が討ち取られた時、
扇ケ谷の観音山にいました。

観音山はまたの名を石切山とも言い、頂上には『望夫石』と呼ばれた直径5mくらいの岩が
由比ヶ浜の方へ向かって突き出ていました。
大地震で崩れ落ちて今は登ることができないけれど、
昔は鎌倉を見渡す眺めの良いところで茶店もあったそうです。

重忠が由比ヶ浜で討死した時、妻がこの山から由比ヶ浜を望みながら
夫の戦死を嘆き悲しんで亡くなり石になったと言われ、
この石を『望夫石』と呼ぶ様になったと伝わっています。
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多分この山かな?
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近くへ行くと大きな木が、、、
今は入れないです。
もう少しこの山沿いを歩いてみます。
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ちょっと奥まったとこにある駐車場
でも、よくよく見ると、、、
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こんなものや、
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この様なものが、、、♡
これは、、、何かあったに違いないっ!
そこで鎌倉廃寺辞典の登場です^^

廃寺辞典の地図によるとここは興禅寺跡

鎌倉時代よりもっともっと後の江戸時代初期の創建で末期に廃寺になった様です。
開基は朝倉正世 戦国大名朝倉義景の一族の様です。
徳川忠長の家老(忠長は秀忠の三男で家光の弟 20代で自刃して亡くなってます)
忠長のお墓は亀ヶ谷の薬王寺にあります。

なるほど〜〜〜
いつの間にか廃寺ネタに・・・^^;
観音山は今の古河邸のあたりでまさにこの興禅寺は古河邸の山の外れです。
もう少し春になったら古河邸で優雅にお茶をしながら
重保と奥さんのストーリーを妄想したいです。











by midorikojika | 2020-02-16 23:35 | 鎌倉時代

ゆるく楽しく歴史も学びながら皆さんに鎌倉をご案内してます。日記はご案内以外に歴史の逸話etc


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