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鎌倉歴史散歩〜北条義時の足跡をみなさんにご案内しました〜

コロナでオフ会的なものが、延期、延期、また延期で、
やっとこの2022年5月に2年越しの再開です。
天気予報では午前中は雨で激しく降るかも?でしたが、
待ち合わせの10時に合わせる様に雨は上がってお天気は回復に向かいました^^
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今回は歴史小説家の伊東潤先生とその評定衆の皆さん、 FB旅と木と伝承の会の皆さん銘木総研(株)さんとのコラボ企画で、
総勢26名の大所帯な上、初対面の方ばかりだったので、お話することの出来なかった方もいたのが残念でしたが
感想を聞けた方からは、『鎌倉は何度も来ているけれど初めての所もありました』とか、
『説明を聞くと改めてよくわかって面白かった』とのお言葉をいただけたので、
皆さんご満足いただけたかな??と、反省しつつも次への意欲もわいております…^^

今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にちなんだツアーも数多くある様ですが、
以前の伊東先生とコラボのオフ会は、太平記ゆかりの地を巡ったので、その時とはダブらない様にコースを
組み立てることができました。


いつも必ず作るパンフ
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今回もチカラを入れて作りました。
帰った後も見返して楽しんでもらえる様に、最初に北条義時の年表を付けたりして^^
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今回のコースの最初は鎌倉駅からほど近い妙本寺です。
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ここは比企一族の館があった場所で1203年の比企の変で生き残った当時わずか2歳だった
比企能員の末子、能本がのちに日蓮に帰依し屋敷跡を献上したのが始まりと言われています。
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境内には比企一族のお墓と、能本本人のお墓もあります。
妙本寺の山号の『長興』は父である比企能員の法名、
『妙本』は母の法名だそうです。
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比企の変の時、2歳で助命された能本と母(三浦氏の娘)と、源頼家の娘、竹御所の
その後の人生も興味深いものがあります。

そんな話をしながら竹御所の新釈迦堂(今はお墓が残されている)と、室町時代に
佐竹氏が家督争いの果てに逃げ込んで自害したのも新釈迦堂だったので
そのやぐらもご案内したりして、妙本寺の案内板にも載ってないので
私も何年もその存在を知らずに、それがここにあると知って探した場所なのでみなさんも初めての方がほとんどだった様です。
そのいわれをもっと詳しく話した方がみなさんも面白かったのかもしれませんが、
テーマを外れてしまうのでザックリとお話ししました。
佐竹氏の家督争いと妙本寺については最後にリンクを貼っておきますのでご興味がありましたら読んでみて下さい
下記の蛇苦止堂についても書いてあります。)
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そして妙本寺と蛇苦止堂はセットでご案内したい場所です。
比企の変で家宝を抱えて井戸に身を投げた若狭局の霊がその60年後、
北条政村の娘に取り付きます。
怖い話だけれども、長い間苦しんでいた若狭局の霊を慰めるために
蛇苦止堂が建てられました。
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赤い橋は琴弾橋
比企の変で一族が立て籠もったと伝わる一幡の小御所には風が吹くと琴を弾くような音がする、
『琴弾きの松』があり、それに因んでこの橋に『琴弾橋』と名が付いたそうです。
この橋から小御所山の方を見ながら当時の悲劇と御家人たちの関係なんかを
みんなで語り合いました。

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鎌倉へは何度も来ている方でも知らない率の高い『今宮』
ここは承久の乱で流された後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇
祀られています。
このお三方、鎌倉になんぞ来たことはありませんが、、、
承久の乱から18年後、
後鳥羽上皇が配流先の讃岐で崩御すると鎌倉で喧嘩や争い事が相次ぎ、
院の祟りではないかと、この神社が建立されました。

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歴史好きでこの時代が好きなら必ず訪れている、
源頼朝のお墓です。
裏側まで回ってみましょう
何か発見があるはずです^^

その後、北条義時の法華堂跡、永福寺跡を回って
永福寺は朝からの雨のおかげで門が閉まっていて入れず;;;
此処にはいろんなエピソードがあって面白いし、当時の様子も
想像できるから是非その場で見てもらいたかったんだけどな・・・
仕方がないから閉まっている門の前で説明・・・

そのあと
鎌倉で唯一、北条義時が建立した『覚園寺』へ。
1218年、義時は日頃信仰していた薬師如来像を安置するために
『大倉薬師堂』を建立しました。
その後、九代執権北条貞時が平禅門の乱後、平頼綱の恐怖政治の様なことが
起こらないよう、また元寇が再びないことを祈って覚園寺を創建しました。
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源実朝が甥の公卿によって暗殺された日、急な体調不良で先導役を降りて
帰宅したおかげで難を逃れた北条義時ですが、大倉薬師堂の
十二神将の伐折羅戌神が、白い犬に姿を変えて義時を病気にして助けたとも伝わります。
その戌神ちゃんも見れますが覚園寺の境内は撮影不可なので
パンフの表紙にイラストを描きました。

撮影不可なのでブログでお見せできないのが残念ですが
本堂の薬師如来像と両隣の日光菩薩と、月光菩薩も素晴らしいんです。

お庭も綺麗で一度は訪れたい素敵なお寺です。


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覚園寺前で集合写真

懇親会までに少し時間があったので
文覚の鎌倉邸跡と勝長寿院跡に寄りました。
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どちらも碑が残されているだけで、文覚邸跡は目立つ場所にあるけど、勝長寿院は気がつかずに通り過ぎてしまいます。
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頼朝の建立した三大寺院
ひとつは鶴岡八幡宮(今は神社だけど、当時はお寺でした)
もうひとつは、永福寺
そしてこの勝長寿院です。
かつてはこの谷戸全体くらいの敷地がお寺だったと伝わります。
大河ドラマ「平清盛」の初回で建設中の勝長寿院に頼朝がいる所へ政子が平家が滅亡したと知らせに来るシーンがあります。
頼朝が父、源義朝の菩提を弔うために建立し、姉(または妹)の坊門姫の追善法要もここで行われ、
1219年には北条政子が実朝の冥福を祈り、運慶作の五大尊像を安置した五仏堂を建立しています。
政子自身も頼朝が亡くなってからはこの辺りに住み、亡くなってからはここに葬られたと伝わります。
(今は政子と実朝のお墓は寿福寺にあります)
度重なる火災で16世紀前半ごろに廃寺になったと伝わります。
火災なんてなくて今も残っていれば五大尊像を見れたのになぁ^_^
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今は源義朝と鎌田政長のお墓が並んで残るのみです。

ここで今回の史跡散歩はおしまいです。
歴史グッズのお店『侍気分』によってあとは懇親会でした。

歩く量もほどほどにみなさん良い感じの疲労感で始終楽しく歴史散歩が出来た1日でした。
ご参加の皆さん、ありがとうございました。

テーマを絞っての史跡巡りは楽しいです。

また楽しいコースを考えてご案内を企画するのでまたご参加いただけると嬉しいです。


                          
 佐竹氏の家督争いと妙本寺についてはこちら110.png 
前回の伊東潤先生とコラボオフ会の様子はこちら110.png


















by midorikojika | 2022-05-20 10:56 | 鎌倉歴史案内

ゆるく楽しく歴史も学びながら皆さんに鎌倉をご案内してます。日記はご案内以外に歴史の逸話etc


by 子鹿御前